過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

いつものリヤカーが大活躍

昨日の森林のワークショップでは、あかりも参加。もっとも、ほとんど足手まといだったけどね。でも、いつものリヤカーが大活躍。森のなかでもおっきな車輪なのでスイスイはしる。しかし、ちゃんと見ていないとあぶないんだ、これが。あかりがいつの間にか、…

川奈の野外センターで楽舎主催のワークショップ

昨日は、北区の引佐町川奈の野外センターで楽舎主催のワークショップを行った。はるばる名古屋のまちなかから、知的障害のあるひとたち37名とスタッフ5名が来訪。昨年の秋は、春野の楽舎の田んぼで稲刈り、脱穀、天日干しを体験したが、今回はその2回目にな…

いっそのこと遺骨がなければどうなるのだろうか

「遺骨」は厳粛なもの。粗末には扱えない。先祖を大切にする心の中核ですらある。けれども、遺骨をたいせつにするとなると、いろいろ煩いも生まれる。お墓が必要になる。お寺に建てるのであれば、永代使用料を納める。墓石を注文して、墓を作る。墓参りに行…

いわば「墓質」になっている

ながい習慣、ならわしで、なんとなく死んだらお坊さん。死んだらお経ということになってしまっただけだ。いわばひとつの風景。そうして、その歴史は、たかだか数百年にしか過ぎない。庶民の仏式の葬儀は、寺請制度が作られた江戸時代以降のことだろう。ただ…

遺族のお経のほうが、つたわる

仏式で葬儀をしなくてもいい。お坊さんも必要ない、という人もふえてくると思う。ぼく自身、母の葬儀は自分でお経をよんだ。通夜でも告別式でも火葬場の前でも四十九日でも。自分でよんだ。生前も母の前でよくよんでいたし、臨終のときにもよんでいたし。ぼ…

みんな立派なおにいちゃん、おねえちゃんにみえる

大人から見ると、ほんとにちっちゃな子どもたち。だけど、あかりの目線で見ると、みんな立派なおにいちゃん、おねえちゃんにみえる。幼稚園児たちは、次々と聞いてくる。「どこに住んでるの?」「おじさん、どの絵が好き?」「どうしてここにいるの?」。言…

こんど会うときには

幼稚園のおにいちゃん、おねえちゃんたちとお別れ。なにか言いたいけれども、言葉は出てこない。おにいちゃん、おねえちゃんたちも、そのうち相手にはしてくれない。視線もあわせずにうつむいたままだった。こんど会うときには、すこし喋れるようになるかな。

知的障害者との交流の集い

5月14日(日)の10時半から、知的障害者との交流の集いを行います。昨年、一緒に農作業してくれた名古屋のメンバーたち40名です。会場は、かわな野外センター。浜松市北区引佐町川名455-5 TEL053-544-0219 http://park20.wakwak.com/~hamataikyou/kawana/…

浜松市みんなの創造プロジェクト

きょうは、まちなかに出かける。「浜松市みんなの創造プロジェクト」の採択事業の昨年度の報告会と今年度のキックオフの集い。このプロジェクトは、市民の提案した企画に対して、予算面と広報面でサポートしてくれる。浜松市のふところの深い事業である。こ…

「それぞれの看とり・死にかた・おくりかた

「それぞれの看とり・死にかた・おくりかた」。というサブタイトルをかんがえた。いろいろな看とりがあっていい、死にかたがあっていい。おくりかたがあっていい。これでなくちゃいかん、これが正しい、というものはない。しかし、自分が「納得のいく」こと…

ヨモギの活用法

ヨモギは和製ハーブ。そのまま葉っぱをむしって急須に熱湯注ぐ。一、二分おけば、いい香りのヨモギ茶となる。陰干しして半乾きにしても、おいしいお茶になる。ヨモギは浄血作用があるとも聞く。さらに干してカラカラになったところで、両手でよく揉めば、モ…

ちかくに託児施設があって、はじめての訪問

じゃーんぷ!というと、大喜びで跳び下りるようになった。45センチの高さ。下にマットは敷いてある。ちかくに託児施設があって、はじめての訪問。すこし緊張して曇った顔をしていた。でも、おんなじくらいの女の子もいて、一緒に絵本を楽しむようになった。…

仏教のひとつの大きな基軸は、「リアリティ」

仏教のひとつの大きな基軸は、「リアリティ」じゃなかろうか。まあ、仏教と一口にいっても、定義が難しい。仏教は長い歴史を経た膨大な思想体系で、その国、土地、時代によって変容もしている。たくさんの宗派や学説があり、それぞれ食い違っていたりする。…

死にゆく人にはどうしたらいいですか。

昨年、スリランカのスマナサーラ長老にインタビューしたときの記録。「死にゆく人にはどうしたらいいですか。なにをしてあげたらいいのですか」というぼくの質問に答えてくれたもの。別になにもする必要がないでしょう。わたしたちに、なにかできますか? な…

最初は五里霧中。一歩ふみこんでしまえば、そこからの縁がつながっていく。

「キリスト教における看とりとおくり」についても、調べているところ。神父や牧師の話を聞きたいところ。だが、ツテがないのでなかなかむつかしい。そのうちダイレクトに教会を訪ねてみるつもり。犬もあるけば棒に当たる、と。もうひとつは医療分野だ。地元…

まさに死にゆくときに、ケアができる仏教があるといい

医者は、「生者」をあつかう。死んでしまったら、もう扱う対象ではなくなる。お坊さんと葬祭業者は、「死者」をあつかう。亡くなったあとの出番となる。生きているうちに出かけていったら、「縁起でもない」と嫌がられる。「まさに死にゆくとき」。そこが、…

稲の苗床作り

朝から稲の苗床作り。昨年とれたサガビヨリの種籾を水に浸しておいて、胚芽が出てきたところで、育苗箱に播く。大友さんがつくった培養土(赤土に糠を混ぜて発酵させたもの)を育苗箱に入れて、そこに種籾80グラムを播いて、軽く土をかぶせる。70箱つくった…

びわの葉療法、代替療法のワークショップ

お寺について、投稿を続けている。「おくり」の本質は家族であり遺族である。家族、遺族の心のこもった、看とりとおくりこそが本質。また、仏教の本義に照らせば、お寺は、生きるための教え、生き方の実践と知恵を伝える場であってほしいと思う。なので、そ…

がんサロンでガイドを務めた

がんサロン「ホ・オポノポノ浜松」の集いで、ガイドを務めた。懇意にしている二つの寺を案内した。まず、ビワ療法の発祥の寺、金地院さんを訪ねて、住職のお話を聞いた。先々代住職がビワ療法をはじめたところ、全国に広がった。自然療法で著名な東条百合子…

いまはもういない。

しばらく前まで、田んぼを仕切って、ここでアイガモを飼っていた。いまはもういない。沢からの水も引かなくなったので、地割れしている。こうしてみると、土が微細にとろとろになっているのがわかる。カモ君たちが、せっせと足でかき混ぜてくれていたからだ…

日本古来の霊魂観、宗教観こそが、千の風か

やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとし うるわし英雄、ヤマトタケルの最期のことばである。各地を転戦しやがて力尽きて亡くなる。ヤマトタケルの魂は、一羽の白鳥となって天を飛翔するのだった。ヤマトタケルの訃報に接し、おおくの人…

風習やしきたり、世間体や見栄で、大枚をはたくというのも、どうかなあと

初子が生まれるとみんなで祝う。大凧を揚げて、オイショ、オイショと練りをおこなう。ラッパが吹き鳴らされる。夜はきらびやかな御殿屋台がひきまわされる。提灯を手に練り歩く。ラッパが響く。それが浜松まつりだ。200万人近い人出となる。みんなで祝ってく…

お寺は先達としての役目があるんじゃあないか

お寺関係の書き込みを続けている。書いているうちに、いまの日本仏教否定の方向にいきやすい。ぼくの立ち位置というと、難しい。ひとつは、「ブッダの教え・生きざまという原点」からみていく。仏教は生きている人のための教えである。暮らしの中で悩みと苦…

寺院消滅のリアリティ

お寺の裕福度は、檀家の数による。お寺の経済基盤は、檀家である。祈祷寺、観光寺、広大な不動産所有の寺などは、檀家は関係ないが、日本のお寺の大勢は檀家寺である。収入は葬儀・法要のお布施ということになる。檀家の数によって、今年はどれくらいの葬儀…

墓か必要なんだろうか。供養ってなんたろう。

「永代供養」ってなんだろう。永遠に供養する、供養される、ということだと思うが、そんなことはきっとありえない。お寺の墓地に埋葬したとする。しかし、お寺が永遠につづくはずがない。また、子孫に係累がなくなり、無縁墓になるかもしれない。無縁墓にな…

「看とりとおくり」のシンポジウムの企画

みんながあそんでいるときに、仕事しているというパターン。みんなが仕事しているときに、のんびりしているので。さて、きょうは「看とりとおくり」のシンポジウムの企画をしているところ。これは、浜松市の文化事業として採択を受けた事業だ。日程も会場も…

『スートラ』とは『糸』のこと

『法華経』『般若心経』『金剛般若経』などという漢字のタイトルをみると、重々しく小難しそう。ちっとも楽しい感じはしない。でも、英語で「ロータス・スートラ」「ハート・スートラ」「ダイヤモンド・スートラ」というと、なんかとっつきやすくなる。『法…

固定観念になっていたものから解放されるのはおもしろい

暮らしの中で、あたりまえになっているけど、他所の人からみたら、尋常じゃない。そういうことが、たくさんある。東京暮らし40年から、この山里に越したときには、空気の質感が全くちがうことに気がついた。空気の質が微細というか、軽い感じがした。満天の…

もう毎日、川遊びだなぁ

きょうから気田川を歩くことにトライ。よろけながらも、無事に歩いていた。けっこうなアドベンチャーだと思う。これからの季節は、もう毎日、川遊びだなぁ。

きょうもアルミのリヤカーであそぶあかり

きょうもアルミのリヤカーであそぶあかり。朝はリヤカーに乗って、ゴトゴト揺られながら景色を眺めてる。夕方は、リヤカーを動かしている。こんなに大きなものを、ひとりで動かせるというのは、とっても満足みたいだ。