暮らしの中で、あたりまえになっているけど、他所の人からみたら、尋常じゃない。そういうことが、たくさんある。
東京暮らし40年から、この山里に越したときには、空気の質感が全くちがうことに気がついた。空気の質が微細というか、軽い感じがした。満天の星の輝きに目が覚める思いがした。気田川の清流の澄んだ青さに魅了された。
しかしすでに、移住して7年目にはいる。まったく日常の暮らしそのものなので、いちいち感動などしない。
たまに東京に行くと、あまりに人が多いことに驚く。とくに若い人がたくさんいることにも。深夜でもたくさんの人が歩いている。山里は、まったく人がいないから。若い人などほとんどいない。散歩しても人に出会うということは少ない。
やっぱり仕事するには、東京だなあ、こんな人がたくさんいるんだもの。工夫次第で成功する可能性がたくさんある。そんなふうにもみえてしまう。
外国人が教師となって日本の学校に来た。生徒たちを見て、おどろいた。「すごい、みんな日本人だ」と。肌の色、髪の毛の色、目の色、顔かたち、みんなほとんどおんなじに見えたという。そして、みんな日本語を話す。これには新鮮な驚きだった。
世界には、ひとつの国でも、たくさんの言語や民族、宗教のちがいを抱えている国がある。そちらのほうが、多いかもしれない。
たとえばインド。インドの公用語は、ヒンディー語と英語の二つだが、お札には14もの言語が書かれている。すごいことには、それぞれ文字がちがうう。左から右に書く文字もあれば、右から左に書く文字もある。そうして、文法が違う。さらに、細かくみていくと2000近くも言語があるという。
日本という国は、ほとんどがおんなじ民族、ほとんどみんな日本語を話し、日本語を読み、宗教のちがいも大してこだわりもなく、似たような意識で暮らしている。たまに海外に旅をすると、日本という国の特殊性に気がつく。
たまに旅をし、ときには海外に出かけ、あるいは住まいを移す。そうすると、固定観念になっていたものから解放されるということもある。そこがひとつのたのしみ。