過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

間質性肺炎だった。決定。予想したとおり。

間質性肺炎だった。決定。予想したとおり。
「ごほん、ごほん」と、咳き込む。
むかしの結核の文学者みたいだと友人は言う。

間質性肺炎肺が線維化して酸素吸収力が落ちている。
なんと肺活量が、60%だよ。これでは、階段の上がり下がりも苦しいですよ、と医師。

ということで、これから二泊三日で入院検査に入る。
二俣の天竜病院だ。もともとのルーツは、結核の治療のための病院。
大病院と違って、山の中で、なかなか落ち着いたところ。医師もいい感じだし、気に入っている。
   ▽
ずっと空咳が続いていた。
とくにこの一ヶ月くらいで、息苦しくなってきた。
8月には東京に行って取材。9月には千葉に行っていたし、そんなに苦しいことはなかった。川であかりと泳いでいたよ。

ところが、10月に入って、がぜん息苦しくなってきた。
敷地にミョウガを取りに行くとか、玄関を雑巾がけするくらいでゼイゼイしてきた。
ということてやっと専門医に行ってきた。それが、昨日。そして、きょう入院。
   ▽
そもそもなぜこうなったのか、理由はわからない。
タバコも吸ってないし、空気のよい田舎にいるしね。

古民家の改修に入ってひとり暮らしが6か月くらい。そのホコリとかカビも原因かもしれない。コロナの後遺症も考えられる。2回くらいかかっているからね。検査してないけど、自覚的にはコロナ。あるいは、なんらかの要因があって、じわじわ進行してきていたのかな。

ともあれ精密検査したら、間質性肺炎だった。医者も増悪の進行度に驚いていた。
肺というのは、細胞が再生しない。壊れるとアウト。
ので、治らない。せめて、いま以上に進行を止められるかどうか。
   ▽
そこで、どういう処方が適切か調べる。で、二泊三日で入院検査となった。
入院するなんてのは、高校時代、クルマにはねられて頭を打って以来だ。

肺の細胞の組織の一部をとって精密に分析。
肺を洗浄してみる。
歩いてみて、どの程度杯のパフォーマンスが落ちるのか検査。
まあ、いろいろ検査漬けだ。

諸法の戦略が決まったら、ステロイドの投与とか抗線維化薬とか、いろいろ飲まなくちゃいけない。副作用が伴う。この症状には効くけれど、感染力が弱まるとか、カルシウムが不足するとか。それを補うためにまた薬。薬が増える。
友人は、20〜30種類くらい、毎日飲んでいる。
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このままであれば、デスクワークは問題ない。頭の回転、回路も異常なし。
まあ、横になっていりた、寝ている分には問題ない。読書したり。こうして書き物とか。スケッチとか。おしゃべりしたりはできる。草刈りとか田植えとかは無理そうだけど。

まあ、いまの私の「見たて」では早くて半年。
薬を飲みながら、細く長く、作家生活しながら3年というところかなあ。

このまま肺の能力が落ちていくと、苦しんで死んでいくことになる。
美空ひばりとか八代亜紀とか、間質性肺炎で亡くなっている。
とにかく、苦しむ病だそうな。呼吸ができなくなるのだからね。

人は必ず死ぬわけだから、死を見据えての生き方の選択と集中ということになる。
それはそれで、濃密な暮らしぶりになっていく。
のこされた家族は、それはそれで、ひとりひとりのカルマというか、プロジェクトってことだなあ。