過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

最初は五里霧中。一歩ふみこんでしまえば、そこからの縁がつながっていく。

キリスト教における看とりとおくり」についても、調べているところ。神父や牧師の話を聞きたいところ。だが、ツテがないのでなかなかむつかしい。そのうちダイレクトに教会を訪ねてみるつもり。犬もあるけば棒に当たる、と。

もうひとつは医療分野だ。地元には、キリスト教系のホスピスを運営している総合病院があり、関連の大学もある。そこからお話をお聞きしようと電話した。が、大きな組織となると、肝心の話を聞くにいたるまで、手間がかかる。

総合受付に趣旨を話すと、お待ち下さいと、総務課が出る。また趣旨を伝えると、お待ち下さいと、また関係の部署に出る。また、趣旨を説明すると、「そういうことは、こちらの一存ではこたえられないので、……ということになる。

肝心の人に出会うためには、企画書、趣意書を郵送して、つないでもらうということになる。そうしているうちに、エネルギーが落ちてしまうんだけれども。

まあしかし、いままで新しい企画は、すべてこんなふうにしてスタートしてきた。「はあ? なんですか。あなた誰ですか?」みたいなあしらいを受けるのは、あたりまえ。いきなり見ず知らずのものが、電話するわけだからね。

でもまあ、これまでの企画はそんなふうにすすめてきた。「北遠(ほくえん)山里めぐり」や「神社・寺カフェ」はそうだった。最初は五里霧中でも、一歩ふみこんでしまえば、そこからの縁がつながって視界がひらけてくるものだ。そして、そのプロセスこそがおもしろいといえる。