遠州牧師会(プロテスタント系)で、来年の2〜3月に開催する「神社・寺・教会カフェ」の説明の時間をいただいた。さすがキリスト教らしく、会場は、落ち着いた静かで優しいエネルギーに満ちていた。
この企画は、今回で4回目になるが、キリスト教会の参加は初めてとなる。
「納得のいく看とりとおくり」の連続講座(2月に開催:仏教、神道、キリスト教、ヒンドゥー教、無宗教)で、キリスト教の講師を務めていただいた神戸輝明牧師(笠井福音教会)のご紹介で、呼んでいただくことになった。
仏教会では、何度か経験があるが、キリスト教の集いでは初めてだ。神道・仏教・キリスト教と宗派を超えてイベントをもつというのは、 おそらく全国でも初の試みではないかと思う。
期間中(来年の2〜3月)、どなたでも自由に神社、寺、教会を訪ねられる。その日は、神主も住職も牧師も、訪問者をお迎えする。日にちも企画内容も、それぞれ異なる。
普通、こういった宗教施設にはなかなか、足を踏み入れにくい。これが「きっかけ」になればいい。 布教が目的ではない。こうした宗教施設を、ひとつの伝承文化として、気軽な寄りあい・語り合いの場として、知ってもらおうという趣旨である。
実際にどれくらいの教会が参加してくださるかわからない。また、市民がどれだけ足を運ぶのか、わからない。まあ、ひとつの試みで、反響によってまた変化していく。
ちなみにも、昨年のこのイベントは、30ほどの寺社が参加。訪問者の多いところは120名余、少ないところは2名であった。日程、場所、企画、それぞれのイベントの重なり具合で、まったく参加者数はよめない。
今回は浜松市の文化振興財団の助成事業だ。行政がこうした宗教的なイベントに助成するのは、なかなかリスクのあることだと思うが。これまで3回、助成事業(浜松市の文化振興課、浜松まちづくり公社、浜松市文化振興財団)としてサポートいただいた。
さて、せっかく山里からまちなかに出て来たので、「どこかお寺に寄ろうかなあ」と思っていた。その瞬間、目の前に、日本山妙法寺の庵主さんが歩いていた。白と黄色の法衣なので、よく目立つ。
団扇太鼓を叩いて、南無妙法蓮華経と唱えて、駅前で平和行進をしてきた帰りだという。この方は、アメリカ大陸でも、反原発・反核兵器の大陸横断の活動などもしていた。
これも縁と思い、お寺に寄って、庵主さんと楽しい語らいが持たせいもらった。いつも話を楽しそうに聞いてくださる。ついついこちらは饒舌になってしまう。
日本山妙法寺の開祖(藤井日達師)は、 インドで布教し、ガンジーの独立運動を支援もしていた。ガンジーは、日達師を日本の武士道のようだと感銘していた。その縁で、インドには十数か所の日本山妙法寺の寺院がある。
私はインドを旅するときには、よく滞在した。 また、今年の5月にはムンバイ(ボンベイ)で40年間、布教をしている森田上人の講演会を浜松で主催したのだった。
ぼくの場合、どの宗教がいいとか悪いとか、正しいとか間違っているとかもなく、 縁にまかせて動くことにな。どこから入ろうと、どんな道から登っても、たどり着く山頂はおんなじかもしれない。それぞれの縁にまかせて、というところである。