過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

遺族のお経のほうが、つたわる

仏式で葬儀をしなくてもいい。お坊さんも必要ない、という人もふえてくると思う。

ぼく自身、母の葬儀は自分でお経をよんだ。通夜でも告別式でも火葬場の前でも四十九日でも。自分でよんだ。

生前も母の前でよくよんでいたし、臨終のときにもよんでいたし。ぼくは真宗も、日蓮宗も、曹洞宗も、真言宗も、天台宗も。ほとんどの宗派のお経がよめる。インドのお経もよめる。

肉親をおくるのは、子の務めとおもっている。お坊さんのお経はとくに必要ない。むしろ、ヘタくそであっても、遺族のお経のほうが、つたわる。そうして、お経である必要もないし、万葉集でも詩でもいい。

お経そのものに力があるわけではないのだ。いわばお経をツールとして、つたえる心にこそ力があるのだ。