葬儀は仏式で、お坊さんにお経をよんでもらう。戒名をつけてもらう。それが、世の常になっている。その起源はどこからきたのだろうか。
徳川幕府は、キリスト教が弘まって異国の植民地になることを恐れた。そこで、キリシタンの蔓延を防ぐために、ひとびとを仏教に縛りつけた。すなわち、「寺請(てらうけ)制度」をつくって、すべてのひとを特定の菩提寺の管轄下においた。
そうして、ああせいこうせい、ちゃんとしないとキリシタンと疑われて、えらい目に遭うぞ、と脅しをかけた。
家康が交付したといわれる「御条目宗門檀那請合之掟」(ごじょうもく・しゅうもんだんな・うけあいのおきて)というものがある。これは偽書と言われるが、宗門によって積極的に活用された。そのなかに、こういう文言がある。
「檀那寺の僧侶は、死者の死相を見届けて邪宗でないことを請合って後に戒名を与え引導を渡せ」「先祖の法事などを他の寺で執り行ってはならない」「葬儀は檀那寺で執り行え」「宗祖忌、仏忌、盆、彼岸、先祖命日に参拝しない者は厳重に吟味する」など。
「吟味する」というのは、取り調べられるということ。まかりまちがえば、隠れキリシタンと疑われ、一族郎党が捕獲されて殺されてしまうという恐怖を与える文言だ。
こうして、ひとびとは菩提寺に縛りつけられることになる。交通手形も菩提寺が発行するので、それがなければ旅もできなかった。
そんな檀家と菩提寺の関係が、およそ300年間もつづいた。そんなに長くつづけば、葬儀は仏式があたりまえ。お坊さんにお経をよんでもらい、戒名をつけてもらうのはあたりまえ。それをしないものは、おかしなやつ、不届き者という風土になっていく。そういう歴史的な背景があって、いまのお寺さんがあるのだと思う。