過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

檀家をやめる(1)これじゃあ、まるで「墓質(はかじち)」だ

檀家をやめる(1)

菩提寺の和尚が気にいらない、法外な戒名の布施を要求する、すごく贅沢している、愛想が悪い、威張っている。

うちの和尚じゃなくて、べつの坊さんにおくってもらいたい。あるいは、散骨がいい。海洋葬がいい。樹木葬がいい。

いろいろ供養の話をしていて、そんな声をよく聞く。

けれども、菩提寺があって、そこに先祖代々の墓がある。自分だけの散骨はいいとしても、先祖の遺骨はどうするか。

やっぱり、お寺から離れられない。

ということで、振り出しに戻る。仕方なく、菩提寺と付き合っていくしかない。これじゃあ、まるで「墓質(はかじち)」だ。なんとかならないものだろうか、と相談を受けたりする。

信教の自由だから、檀家を離れることは、もちろん可能だ。
さて、そのとき問題なのが、離檀料みたいなもの。100万円も200万円も要求されたという話も聞く。

あるお坊さんは、こう話していた。「お寺さんに、いかほど? と相談してはいけない。じゃあ200万円と言われたら困るでしょう。家族で相談しました。つきましては、ほんのお礼でございます、とお布施として納めていただければいい」と。

しかし、穏やかに檀家を離れたとしよう。しかし、その後の処理もたいへんだ。

お墓を撤去しなくちゃいけない。更地にして返す。後はきちんとしておかなくちゃいけない。このあたりは、どういう契約になっているかによるが。

そして、あらたに先祖の遺骨を埋葬する墓地を取得しなくちゃいけない。そうなると、なかなか費用がかかる。それならやっぱり、いまの菩提寺のままでいいじゃないか、ということにもなる。