過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラ長老の原稿作り。今回は、整理法について。

スマナサーラ長老の原稿作りを進めている。今回は、整理法について。日常の中で、特別な瞑想などしなくても、暮らしそのものが心の成長につながっていくという実践法だ。この話を聞いて、実際にやっているけど、とてもいい。新たな新鮮な発見になった。ひとつのゲシュタルト転換といえる。
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整理整頓しようというのは、なかなかストレスのかかることです。脳で考えている無理な作業だともいえます。だからあまりやりたくない、やってみて疲れた、ということになります。しかし、疲れない整理整頓法があります。ストレスもないし、気持ちがいい、心が落ち着く、心が成長するという方法です。

それは、どんなものにも自然な流れの中で、きまっている場所、位置がある。それに沿って置く。そこに思いをもって動かすだけで、整理されてしまう。そして、自分の立場じゃなくて、モノの立場に立って考えるという方法です。

具体的にどんなことかというと、たとえば、ボールペンを置く場合、適当にポイと机の置くのではなくて、ボールペンさんにとって、どういうふうに置かれたら居心地がいいのだろうか、と思いをいたす。この本さんはどこに置いたら落ち着いてくれるだろうか、と。この掃除機さんは、この場所が適当だろうかと、掃除機の立場に立って考えます。この場所は居心地がよくなさそうだと思えば、もっと落ち着く場所に移動してあげる。この布団さんはどうも、こちらじゃなくてあちらがふさわしい。スプーンさんはこちらが落ち着くようだ、と。

そんなふうに、身の回りのものを、そのモノの立場に立ってみる。そのモノがいちばん居心地のよい、自然な場所に収まるように整理整頓をすすめていくのです。

これは整理整頓だけじゃなくて、いろいろな方面に応用できます。例えば料理です。ニンジンを切るときも、ニンジンさんの立場に立って思いをいたす。すると、それぞれ掴み方、皮のむきかた、切り方がわかってきます。

自分の体の場合も同じです。この身体も物体だから、いつでも所定の位置というか、自然な位置、きまっている場所があるんですね。自分の身体の立場に立って、思いをいたして、ふさわしい自然な動きにするのです。お風呂に入るとき、トイレにいく時とかね。男性トイレとか、ただしく体を使えば一滴もこぼさないようにできるんです。これは別にたいへんなことじゃないでしょう。

そんな感じですすめていくと、仕事は上手くいくし、ストレスもないのです。そして気分がいい、ということになる。そのことで、心の成長につながるのです。