過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「負けるが勝ち」の言葉をかみしめていた

属していた事業部が価格競争の激化で赤字縮小となって、社内的な派閥の変化もあって、私は総務部門に異動することになった。株式の管理、株主総会の運営の部署である。

仕事は社員持ち株会の管理がメインで、転換社債の発行に伴う事務手続きとか株主総会のための決算報告書づくりとかいろいろあるが、下っ端の私は大した仕事はない。

なにかやるにしても、「今まではどうなっていた」「他社ではどうしている」という前例踏襲主義で、改革とか合理化とか創造性は許されない。

しかも上司は、以前私とぶつかってソリがあわない人物で「余計なことはしなくていい」と言われ、落ち度なく過ごしていればいい、というような仕事ぶりにシフトした。

整体の先生の急がば回れ」「負けるが勝ち」の言葉をかみしめていた。双六でいえば、「三つ進め」から「三回休み」だ。出世コースから外れたと落ち込んだ気分もあったが、こんなのもいいだろう、流れのままにいけばいいという気分でいた。

なにより残業もないし、がんばっても仕方がない。5時半にぴったり帰るようにした。

休みもちょいちょいとって、インドに行ったりいろいろなワークショップに参加していった。

こうして、我も張らずにのんびりいこうと暮らしていたら、いつの間にやら腰痛がなくなっていったのだ。不思議なことに、あれほどひどい腰痛は、まったくなくなり、以来、二十五年、腰痛はまったく起きていないのだ