過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

困難に直面するためには、つねに変化せざるをえない

 
「成功」というのは、目標が達成されること、ビジョンが実現されるところにある。
 
ところが、当初の目的、目標、ビジョンとは、ちがうかたちで、「予期せぬ成功」が訪れる。それが人生には多いと思う。
 
成功しなくても、実存的な「問い」を突きつけられて、人生の質が深くなる、学びが深くなる。微細なありように気がつくようになって、人生が豊かになる。それこそが宝である。
 
ところが、「目標」にとらわれていると、そのことに気づかない。すでに豊かな宝を得ているのに、そこに気がつかないこともある。
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「田舎暮らし」を思いはじめ、この山里に移住したのは9年前。土地と家を安く買ってしまえば、もう生活コストは大してかからない。だから、あんまり稼がなくてもいい。寒い冬はインドやバリに滞在して、春に戻ってくる。そんなゆったりした暮らしをめざしていた。
 
ところが、そのビジョンはまったく実現していない。
 
いろいろなネットワークづくり、山里と〈まちなか〉を結ぶというような企画がおもしろくて、次から次へとプロジェクトを広げていったからだ。田んぼもはじめた(無農薬で3千平米の田んぼ)。のんびり・ゆうゆうの暮らしではなくて、忙しいこと忙しいこと、追い立てられるような日々がずっと続いてきた。
 
しかし、企画を実現していく過程で、思いついたこと、やってみたいことをかたちにすることができるノウハウと自信を得たこと、さらには幅広い人脈、ネットワークが作られたこと。それらは、まさに予期せぬ宝だ。
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そうして、はからずも家庭を持ち、子育てに入るという若い時にやっておくべきことを、年老いてから始めざるをえなかったこと。そのことで、人生というもの学び、気付きが深まったこと(まったく遅まきながらだ)。
 
さらには、縁あって、ほとんどなんの思いもなかったデイサービスの経営に、いま走り出していること。それがじつにおもしろいこと。これらは、いわば「予期せぬ成功」だろう。
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いまデイサービスの経営に、必死に邁進せざるを得ない日々である。そうして、いま抱いている目標やビジョンというものは、数年すると、まったくちがうものが実現されていくようにも思う。
 
仏教的に言うと、これらは「方便」=真実に至る道、化城ともいえる。念念(瞬間瞬間)の化城(いわば現実)は、念念の真実といことにつながる。
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とにかく、「先は全くわからない」。「成功するのか、奈落に堕ちるのかわからない」という、なんともスリリングなところが、ストレスフルだが、おもしろいわけだ。
 
ほんとうは、ラクしたいんだけど。どうも、ずっと困難に直面し続ける人生だと思っている。ま、それでいい。
 
困難に直面するためには、つねに変化せざるをえないこと。つねに、新しい挑戦をしていかなくちゃならないこと。狙った目標は、そのとおりになることは少なく、そのかわり、予期しない宝が発掘されたりすること。そんなことを感じている。