過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

やってくる現実とダンスするだけ

いつも、突然はじめて、突然終わることが多い。ひらめきと直感で動くからだ。
縁があれば、そこから起きていく。縁が尽きれば、そこでおしまい。するとまた、次の縁がやってくる。
いま縁があったことに、集中することになる。やってくる現実とダンスするだけ。
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来年のことはわからず。できるときにできることをやらないと、もう次がない。
「今度」とか、「そのうち」とかいっていると、そのときには、やる気がなくなっている。時と共に条件は変化していくわけだ。
一か所にいてじっくりと継続して、積み上げていくというのが、すごく苦手。気が多く移りやすい。飽きやすい。新しいことに興味を持ってそちらに行きやすい。
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半生を振り返れば、そんなことばかり。
突然、サラリーマンを辞めてフリーランスになった。アテがあったわけじゃない。突然、インドに出かけた。行先も定めず。13回ももインドだ。
突然、仏教書のライターを始めた。突然、医学書の編集を始めた。突然、国立でワークショップを始めた。
突然、東京暮らし40年から、未知の山里に移住した。田舎暮らしの魅力発信の事業をはじめた。NPO法人を立ち上げた。
無農薬の田んぼとアイガモ農法を始めた。昨年など、家の解体やらインドネシアハラール食品加工場のサポートを始めた。ついには、デイサービスの事業を始めた。
5年前、突然、結婚した。突然、子どもが生まれて(突然ということはないよね。でも、突然という感覚)子育てがはじまった。
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このように、飽きっぽい自分だが、家庭をもつこと、子育ては、突然、やめるわけにはいかない。継続と忍耐が試される。そこにおいて、魂の学びを得ている日々。
まあしかし、文章を書くことだけは、継続している。休むことはない。酒呑みが疲れても、毎日酒を呑むように。これは飽きることがない。
なぜなら頭の整理になる。気持ちの整理になる。企画の現実化に向かう。課題の解決の緒(いとぐち)になるからだ。
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ともあれ、いつ死ぬか、わからない。死んだら、それでおしまい。完了。それはそれで、一つの大きな真理。
来世があるとか転生があるとか、浄土があるとかといったって、この人生はこの人生限りと。未完をもって完とするしかない。