過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

数珠つなぎ人生

【数珠つなぎ人生】2024.12.31

①基本設計とかグランドデザインがあるわけじゃあない。
②春野に移住したのが13年前
③つねに予想しない課題はやってくる
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「池谷さんは何をしたいんですか」と聞かれた。
──はて、一体何をしたいのかな。
自分でもよくわからない。
「数珠つなぎ」人生。
基本設計とかグランドデザインがあるわけじゃあない。
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そうだ、田舎暮らししよう! 突然のひらめきが14年前。そして、春野に移住したのが13年前だ。
ひとつできたら、そこから新しいものができる。すると、また新しいものが繋がれていって‥‥。長屋の増築みたいでもあるし、スクラップ&ビルドも起こるし。
縁が起きたら、そこから始まる、縁が尽きたらそこでおしまい。
つねに予想しない課題はやってくる。あかりが生まれた子育てもそうだし、いま患っている間質性肺炎もそうだ。まったま予想してなかった。
しかし、起きたことでいまそこにいるのだから、課題として集中するしかない。
課題が終わったら終ったで、また新しい課題がやってくる。そんなところみたいだ。
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田舎暮らしたいとひらめいて、春野に来た。冬の間はインドとバリ、春に帰ってきて田んぼでもやりたいと思ってた。
ところが田舎の人々との出会いが面白くて、人と人をつなげる企画をはじめて、NPO法人を立ち上げたりした。田舎暮らししたい人のための定住促進事業も始めた。
そんなながれのとき、あかりが生まれることになった。今度は子育てのほうにエネルギーが行かざるを得ない。
あかりを連れて、近所のデイサービスに遊びに行ったりしてた。そのつながりで、デイサービスの事業を継承することになった。
しかし、三年たち妻の病気でデイサービスは撤退することになった。
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じゃあ、昔とった杵柄で餅をつくか。ということで、編集の仕事を再開する。
それで、スマナサーラ長老の本作りシリーズが始まったわけだ。

そんななかで、指定難病の間質性肺炎にかかって、余命は3年くらいと思っているところ。
この病気をかかえながらでも、編集や執筆の仕事はできるので、それに集中していく。
また「いちりん楽座」を主催していると、面白い人が必ず現れる。そこで、人と人を結びつける場を作っていくことになる。
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まあ、とりあえず目の前のことで、やることはたくさん。そこに集中するしかない。
そこからまた何かが起きていく。まだ1年は活動することができるように思う。
仕事は本作り。学校に行かないことを選んだ子どもたちの交流場づくり、仏教・宗教図書館づくり、田んぼと畑の再開ってところかなあ。中途半端になるとは思うけれど。