過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「不妄語」をベースに生きている

「不妄語」をベースに生きていると、言葉に力がある。自分でそれはわかる。もしも嘘をついていたとしても、「あっ、いまウソをついちゃったよ」と、わりとあっけらかんと言える。
だから、不妄語はかなり最強なコミュニケーションの基軸ではある。仏教の八正道で言えば「正語」である。

インテグリティが高くなるとも言える。
「高潔さ」「誠実さ」「正直さ」というように意味だ。
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いま仏教の「五戒」の実践を実験中。
ときに実践しやすいのは「不妄語」。ウソをつかないことだ。
これは、暮らしの中で直ぐにできる。

「これくらいのごまかしはいいや」、なんてケースはたまたまある。が、そこをちゃんと守ろうとすると「あ、自分はズレているな」と気づく羅針盤になる。いやときには、ごまかしや調整も出てくるよ。やはりいろいろとね。
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ともあれ「不妄語」を実践していると、ラクにはなるのは確かだ。
なぜかというと、人は自分自身を瞬間瞬間、自己採点しているから。
自分でウソをついていれば、ほかならぬ自分が自分に対して、低い評価を下す。晴れ晴れとしていなくなる。

自分でわかる。それが相手に伝わる。いちばん知られたくない心が、相手にはちゃんと伝わってしまう。現れてしまう。「ん?ヘンだな」と。
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えらい政治家という人たちに会うと、なにかヘンな波動を感じることがあるが、嘘をつかざるを得ない仕事をしているってこともありそう

宗教団体のえらい人たちに会ってもそれは感じる。
すなわち、インテグリティが欠けてしまうってことだ。
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integrity:ラテン語の「integritas」に由来。「完全さ」や「無傷であること」を意味する。
「integer」は「全体の」や「傷がない」という意味を持ち、数学で使われる「整数」と同じ語源。 
物事が部分に分かれていない状態や欠けていないことを示す。
自分自身や他者に対しての誠実さを持つことや、倫理的に一貫した行動を示すこと。 道徳的な質や、全体的な一貫性を象徴する概念。