過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

知らないうちに、いろいろな生命体、霊的な存在の影響を日々、受けている

「池谷さんがニワトリを絞めているという話をしていたら、そこに突然、池谷さんが現れたんでびっくり」

新幹線の運転見合わせで、新富士のホテルで一泊。駅からクルマで帰宅する時に、「ん? この古民家はなんだろう」と気になって訪ねたら、なんとそこに親しいSさんとMさんがいた。

──いや、あのね。ぼくが好きでニワトリを絞めているんじゃなくて、親子の冒険遊び場で、ニワトリの解体を体験するというワークショップしたんだよ。それに、締めているのはNさんだし。
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Sさんは、それはそれはピュアな人で、動物愛護に専心している。年老いて捨てられたワンコや猫、飢えて庭にやってきたキツネやタヌキなどの世話をしている。彼らのエサ代のために、夜勤で老健でお年寄りのオムツ替えの仕事もしている。

Sさんは消滅集落にある自分の土地を動物の楽園にしようという計画もある。スギ・ヒノキばかりの人工林を広葉樹にしてクマが暮らせるように森にするという、日本熊森協会でも活動している。

女性でありながら、これまでスギ・ヒノキをチェーンソーで千本以上は伐ってきた。間伐すれば日が射して、そこにコナラやブナが生えてくるのだ。それが生物多様性の場になっていく。
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──キツネやミンクのコートをくださる人がいて、冬は寒いのでそれを着て仕事したりしているよ。僕が殺したわけじゃなくて、もう死んでしまった動物たちだから、問題ないよね。

「池谷さん、それはちがうわよ。動物たちの怨念があるからね。それに影響受けますよ。」

──ええ、そうなの? もう死んでいるし、大切に使わせてもらうことでかえって浄化されるんじゃないかと。

「そんなことないわよ。毛皮って知ってます? 死んでからだと剥がしにくいので、生きたまま剥がされるんですよ。池谷さんがいま体調が良くないのは、そのためかも」

──ううむ。たしかに体調良くないし、そういえば冬に毛皮を着て仕事していたあたりから空咳がでだしたかも。

などという、話になったのであった。
そう言われればそうかも、って話はたくさんある。
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この山里に移住する時のことだ、「この季節にその方角に引っ越すのは暗剣殺(あんけんさつ)で最悪になるよ」と吉野の山伏から連絡があった。わざわざそう言ってくれるわけだし、山伏だし、暗剣殺かあ、心配になってきた。

暗剣殺って、九星気学における方位の一つで、厄災を招きやすい方位を指す。暗闇から突然剣で襲われるような、予測できない災いに見舞われる、と。

そのときは、新春の季節の前後だったので、無理に日程調整したのであった。
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まあ、知らないうちに、いろいろな生命体、霊的な存在の影響を日々、受けているのだろうなあ。ちょっとそのあたり、解明していくつもり。

「魔及び魔民ありと雖も皆仏法を護らん」(法華経授記品)
「念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なり」(歎異抄

などと、ひとつの信仰の世界に立脚してしまえばそれはそれで、法位や方角、低級霊など問題にならないということはある。しかし、わたしはほとんど立脚する宗教がないからねぇ。