過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

待っていても向こうから来てくれない。すすんで発信し申請し動く

待っていても向こうから来てくれない。すすんで発信し申請し動く
間質性肺炎の確定。指定難病と身障者手帳の申請。
②地域包括を訪問。要支援事業に該当。その日にケアマネ。翌日からヘルパー。
③人生最大のプロジェクトを進める疾走感を楽しむのみ。
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正式に「要支援1」と役所から通知あり。1ヶ月前、介護認定調査員が来訪。聞き取り調査。その結果の通知だ。

地域包括の問診では、「要支援1に該当するであろう」ということになり、正式な介護認定は介護調査員の訪問と認定まで時間がかかるので、先行して介護のプロジェクトを組んでくれる。

即日、ケアマネージャー来訪。翌日には、看護師2名と介護ヘルパーさん2名が来訪。
徹底して台所周りと玄関周りの掃除と片付けをしてくれた。

ヘルパーさんは週一、1時間にわたって、生活動線と台所周りの掃除、調理補助をしてくれることになる。徹底集中の1時間、しかもキャリアのある人だから相当整頓される。さらに週1で看護師さん。症状の確認。見守りと生活の質の維持のために何が必要かをアドバイス
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一人暮らしになって体が悪くなった時にどうするか。
介護保険を活用する。そのためのものである。
まずは、地域包括に行って相談する。その時点で問診。介護が必要であるならば手続きをしてくれる。ケアマネージャーもすぐに来てくれる。ヘルパーさんも。

もろもろの事情で一人暮らしになるだろう。その支えの一つとして介護保険を活用することができるのだ。

ちなみに介護保険の被保険者は、65歳以上(第1号被保険者)。だが、40歳から64歳までの医療保険加入者(第2号被保険者)も適用される。ただし、家事代行ではない。あくまで介護、看護である。
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このようなサービスがある。しかし、待っていても向こうから来てはくれない。すすんで発信し申請し動くということだ。あるいは、人に動いてもらう。

ヘルパーさんと看護師さんが来てくれることで、生活に節ができ、客観的に暮らしぶりに気がつくことが多い。ケアマネージャーも来てくれるので色々な相談事のサポートをもらえる。
介護ベッドやら手すりやら、生活補助具のレンタルなど。
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多くの人はそのような制度を知らない。親の介護をしたことがある人しかわからない。多分、地域の自治会の人も知らない。さすがに民生委員は知っているとは思うが。

私は、はからずもデイサービスを数年間経営していたので、その辺はある程度分かっていた。ただ「自分が当事者になる」とは思わなかったけれど。

人生は何が起きるかわからない。「備えあれば憂いなし」というが、備えがあってもなくても、起きたときに淡々と手を打つしかない。病を得て治していくとか、衰弱して死んでいくとか、それは人生最大のプロジェクトだ。

プロジェクトを進めるために、情報や制度は大いに使っていく。
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そこで、自分を素材としてサンプルとして情報を発信していこうとしている。

人はいつまでも元気ではない。必ず健康を壊す。老いて病を得て死んでいく。これは、法則だ。といって、今のうちから心配する必要はない。

起きたら起きた瞬間から、打つ手はいろいろある。どんどんと手を打ち、行動していく。その疾走感は、それはそれで楽しいともいえる。
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ここに至るまでの流れ。

5/29:もちの木診療所でレントゲン検査「肺に白い影が増えている」と診断、専門病院の紹介状「すぐ行くように」と。
空咳が続くが、大してして苦しくはない。8月と9月は取材で東京や千葉を訪問。
10月に入り、息苦しさを覚える。
10/29:天竜病院で間質性肺炎と診断。
10/30〜11/1:検査入院 肺の組織組織を採取して精密検査と肺の洗浄。
11/4:「さあ、どうやって死んでいくか」いちりん楽座 カタリバの開催。
11/8:地域包括訪問。問診で支援事業に相当と判断、即日ケアマネ来訪 介護ヘルパーの依頼。
11/9:ケアマネと介護ヘルパー来訪 契約。
11/15:天竜病院での診察:帰りに役所に障害者3級と指定難病の申請。
11/17:介護認定調査員来訪 聞き取り調査。ケアマネ来訪。
11/19:死に至るまでのヴィパッサナー瞑想法の指導を受ける。スマナサーラ長老の「東海ダンマサークル」に参加。
11/20:訪問看護訪問介護各2名来訪。週一で来てくれることになる。
11/25〜29:天竜病院に入院。抗繊維化薬オフェブ(Ofev:肺が硬くなるのを抑えて呼吸機能の低下を抑制し、病気の進行を遅らせる)の投与。
12/9:介護認定の通知 要支援1決定。