仕事と遊びと探究の境界がはっきりしないけど、仕事はしているんだ。
私の仕事は編集と執筆なんで、売れれば収益はあるけれど、売れなければショボンである。
著者や出版社とケンカしてそのままおしまいってのも、これまで10冊くらいある。
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ド素人のなんにも知らないひらめきのチャレンジ(盲蛇に怖じず)から、もう25年以上。
なにしろ「著者校」とか「ノンブル」とか「版面」とか、そんな言葉すら知らずにやってきたんだ。
最初は仏教書から、それからなんと医学書(京大の教科書までなったのもあるよ)、そして自費出版から、老人の健康の本から。尺八虚無僧の譜面とかライブの演奏録音のセットまでやった。東京都の労働新聞、国士舘大学の新聞もやったし、いまは真言宗の総本山の新聞もやっている。頼まれればなんでもやるんだ。
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やっと、テーラワーダ仏教のスマナサーラ長老の道元禅師の本のゲラまで作成して、今朝、出版社に送った。なんとか春には出版できそう。
「布絵」の作品集の最終打ち合わせは本日。
16万部も売れた『死んだらおしまい、ではなかった』(PHP研究所 大島祥明著)は、出版社から続編の依頼を受けて10年余。ついに、著者が亡くなってしまったのでもう無理だ。勝手に執筆できないことはないけど、やはりそれはあかんやろなあ。
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村上光照老師の本作りも、まだ出版社は決まらないし、なにより自分の精神世界史をまとなくちゃ。『ザンネンな田舎暮らし』とかもあるし。
まあ、幕の内弁当みたいにたくさんジャンルがあるので、絞りきれないのが弱点だ。あちこちにじゃんじゃんと戦線を拡大して、泥沼になり、撤退的できない帝国日本軍みたいだ。
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古家の解体とリフォーム、熱海のジオパーク、田んぼ作り、不登校児の居場所づくり、廃校の活用とか、まあいろいろある。そうだ、医大な画伯の絵の広報と画商もあった。縁があるところから、ぐっと進めていくのが私のやり方だ。脈絡はない。
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まだ、子育てには時間がかかるなあ。幸い、あかりが自分のことを書いたFacebookの文章を楽しみに読んでくれるようになった。
「お父ちゃんの文章は読みやすいよ」と楽しみにして、音読してくれている。いまも隣でのぞきこんで「あ、そこ字が間違っているよ」とチェックしてくれている。まあこうして、子どもは日々成長していくわけだ。あかりが言った「それはいいけど、ちゃんと本題に戻ってね」と横から口に出した。