過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

本日、いちりん楽座。 テーマは「歎異抄を読む」

 


本日、いちりん楽座。
テーマは「歎異抄を読む」
世間は休みだし、本日も「いちりん楽座」開催する。

1月8日(月)19時〜21時(入室は18時半〜雑談)
参加費無料 参加ご自由 途中入退室自由 顔出し自由
アプリ GoogleMeet
Googleのアカウントがあれば参加可能。スマホはアプリのダウンロードが必要。
下記をクリックするだけ。

https://meet.google.com/cda-bdoe-hap

信仰、宗教の究極のところを示すひとつの書だと思う。
あれこれと宗教を学んできたが、一書をあげよと言われたら、『歎異抄』だ。
もっとも心に響き、もっとも生き方に影響を与えてくれた。
日常の生き方に質的な変化を及ぼす力がある。
 ▽
歎異抄』は親鸞の思想のエッセンス。
だが、それは親鸞の著作ではない。
晩年の親鸞の言葉を、弟子の唯円房がまとめたものだ。
親鸞と弟子の唯円との年齢差は、約四〇歳。
親鸞が亡くなって、約二十年以上も経って書かれた。
ぼくは仕事が編集なので(執筆やゴーストライターもよくやる)、編集者の視点から読むと、唯円房のまとめかたはまことにすばらしいと思う。
 ▽
唯円房は書いている。
「耳の底に留むるところいささかこれをしるす」
「故親鸞のおおせごとそうらいしおもむき、百分が一、かたはしばかりをも、おもいいでまいらせて、かきつけそうろうなり」
師匠の語ってくれた言葉はたくさんあるが、耳の底に残っているところ、師の教えの百分が一、かたはしを書いた、という。
 ▽
冒頭の一行で要点をあらわしている。
「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」

内容はなんとも深遠。けっしてわかりやすいわけではない。
まあ、そういった信仰の教義を論じるもよし、親鸞生き方、親鸞を生んだ鎌倉時代のこと、日本仏教のこと、その後の真宗の教団のこと、縁に従ってなんでも語り合ってみたい。

とくに講師なし。池谷が進行役。それぞれが、体験や思いを語り、分かち合う場。
テキストは、画面共有しながら読んでいく。とくに用意する必要なし。予備知識も必要なし。