先日、御前崎市にある浜岡原発を見学した帰りに、近くの桜ヶ池に寄った。ここは、法然の師匠である皇円が龍の身になって入定(深く瞑想)している。法然はこの地を訪ねたと伝えられている。
法然は師匠の皇円に対してどう思っていたのだろうか。そして、同時代の親鸞、日蓮は、自分の師匠に対してどのように思っていたのかを、ざっくり調べてみた。
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「法然」
法然の師匠は、皇円である。たいへんな学識ある人で、『扶桑略記』を著している。
皇円は臨終に際して、「ついには解脱できなかった。また生死生死をくりかえすと、やがて仏道を忘れてしまうかもしれない。そこで、龍の身になって長命して、弥勒菩薩にお会いして、仏法を学ぶのだ」そう言って、桜ヶ池に、龍の身となって入定したと伝えられる。
それに対して法然は、こう言っている。
「智惠あるがゆえに、生死のいでがたきことをしり、道心あるがゆえに、佛の出世にあはんことをねがふ。
しかりといえども、いまだ淨土の法門をしらざるゆえに、かくのごときの意巧に住するなり。
われそのとき、この法門をたづねえたらましかば、信不信はしらず敎訓しはんべりなまし。そのゆえは、極樂往生ののちは、十方の國土こゝろにまかせて經行し、一切の諸佛、おもひにしたがひて供養せん。なんぞあながちに、穢土にひさしく處することをねがわんやと[云々]。
かの闍梨はるかに慈尊三會のあかつきを期して、五十六億七千萬歲のそらをのぞむ。いとたうとくも、またをろかにもはんべるものかな」(拾遺古德傳繪詞 黑谷源空聖人)
趣旨は、師匠は、智慧ある方だから解脱の難しいことがわかり、仏道を求める心があるので、仏に会いたいと願った。
しかし、この浄土の教えを知っていたら、極樂往生して、思う存分に修行ができて、一切の諸佛に供養できたのだ。どうして、穢土(汚れた苦しいこの世界)において、龍の身で56億7千万年も待とうとしたのか。その志は尊いとも言えるが、愚かとも思う。
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「親鸞」
「たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。(中略)いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」(歎異抄)
法然上人にだまされて地獄に堕ちても、まったく後悔することはない。自分はどんな修行しても無理なので、そもそも地獄が住処のようなものであるから、という。
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「日蓮」
日蓮は、「念仏無間」といって、浄土の信仰、阿弥陀如来を信ずる行為は、無間地獄におちるのだと強く主張した。師匠に対しても同様。
道善房(日蓮が出家したときの師匠)が「阿弥陀如来を五体つくったよ」というと「阿弥陀仏を五体作り給へるは五度無間地獄に堕ち給ふべし」(善無畏三蔵抄)と言い切る。
こうして、祖師大士を比較していくと、いろいろ個性的でおもしろいなあと思う。ちと比較軸が荒っぽすぎるけれど。