過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

うれしいのおーー。本にしてくれてありがとう。読んでいて、たのしゅうてならん

「うれしいのおーー。本にしてくれてありがとう。読んでいて、たのしゅうてならん。
自分のところを、はじめに読んで楽しくなってなぁ。ほかの人のところも読んでいくと、みんな友だちみたいに思えてきた。うれしゅうてならん、ありがとう。
さっそく池谷さんにお礼の手紙を書いていたんだが、まずは電話で話したほうがいいと思ってのお」

紙漉き和紙をつづけている大城忠治さん(94歳)から、電話を頂いた。
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「元気な90代」の本を9軒、取材先に届けた。西鹿島駅に出版社の編集者を迎えに行って、同行した。阿多古の山の上〜佐久間〜春野〜西鹿島駅、ということで150キロは走ったと思う。

──本ができあがりましたので、お持ちしました。
「おお、ついにできたか。で、いくら払えばいいんだ」
とみんなおっしゃる。
──いえいえ、お金もらうなんてとんでもない。取材協力費をお持ちしましたよ。

「私みたいなものが、こんな立派な本にしてもらって、ほんとにいいんですか」という方もいた。

「本になるとは聞いていたけど、かんたんな冊子程度のものかと思っていた。まさか、こんな立派なちゃんとした本になるとは」と驚いた娘さんもいた。

「ちょうど昨夜、頭がいたいと言うので、ドクターヘリで運ばれた」と息子さん。さいわい、元気になられたようだが。
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高齢の方にしてみると、「本」というのは、なにか業績をあげた立派な人がでてくるもの、学者とか特別な人が本になるものだという意識があるのだと思う。

今回の本の企画の趣旨は、過疎の山里にいてまったくフツーの人。しかし、とてもフツーじゃない90代、をテーマにしている。

いまや高齢社会で90代の人はたくさんいる。
しかし、施設にいたり、からだも弱って日々、とくに用事もなく過ごしている方も多い。

今回、登場ねがった90代は、ひとり暮らしで元気で暮らしている人が多い。
現役で仕事もしている。店を経営する99歳、和紙を漉く94歳、鍛冶職人の91歳、木を伐る91歳など。あるいは、ぽつんと一軒家でひとり暮らしの92歳。
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そんな元気な90代の方の取材をして原稿にしていった。若いときのことなど、記憶が不鮮明だったり、堂々巡りしたり、話を聞き出して文にするのは、なかなか難儀のこともあった。

息子さんや娘さんがいれば、うまく補強してくれる、逸話もたくさんきけるのだが、ひとり暮らしだと難しい。

逸話、苦労談、失敗したことなど聞きたいのだが、本人にしてみと、大した苦労じゃない。人に向かってこんな苦労した、こんなことしたということは、あんまり話などされない。

また取材して原稿にしているときに、亡くなられた方が二人おられる。四十九日の日にお訪ねして、長男と長女の方に思い出話を聞いて書いたりもした。
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人生100年時代に入りつつある。
肉体的には長生きができるようになってきた。

60で定年を迎えたとして、さあそこからが長い。
趣味もない、友人も少ない、行くところがない、用事もないという人生ではつまらない。

なので、こうしてフツーに元気で暮らしている、生きた実例、モデルがおられるというのは、ひとつの希望になるのかなあ。
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わざわざ90代の元気な方を探しだして、初訪問して取材したわけではない。取材した11人のうち9人は、地元の春野町の人だ。かねてからの私の友人であり大先輩である。

ぼくが投稿した文章を読んだ出版社から企画の提案があって、そういえば、○○さんと○○さん、それから○○さんと、思い浮かべては訪ねていった。

この本がそこそこ売れれば、第2弾、第3弾とシリーズ展開できるかもしれない。そうなると、また楽しい出会いが起きていく。ますますありがたい。