過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

方丈記と立正安国論

日蓮鴨長明というテーマが浮かんで書いている。

ことの発端は、あかりといつも歌っているインドの歌:「ハヌマンチャリサ」(ハヌマンという神様をたたえる歌)をカナを振ったテキストを投稿したら、インドの方からコメントがあった。

あれ、どんな方かなあと調べたら、なんと日本文学の研究者だった。ゴウランガ プラダン チャランさんという。

デリー大学を卒業し、国際日本文化研究センター経て、2019年から国際日本文化研究センター機関研究員。
専門は、「日本文学」。『方丈記』の海外流通・受容について翻訳論・世界文学論の視点から研究。同時に『方丈記』の国際的な展開に重要な役割を果たした夏目漱石南方熊楠、2大人物についても研究。2022年『世界文学としての方丈記』(法蔵館)を日本語で出版。

ということで、面白そうな方なのでやりとりしている。
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とともに、『方丈記』をふたたび読んでみた。

多くの日本人は、出だしの「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」くらいしか知らないと思う。

生没の年を見ていたら、日蓮といわば同時代だ。鴨長明は、1155年〜1216年。日蓮は1222年〜1282。鴨長明の死後、日蓮が生まれている。
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日蓮北条時頼に出した「立正安国論」(1260年:日蓮38歳)は、天変地夭、飢饉、疫病を時代を背景にして、真実の教えで人々を救わねばならないという警世の書だ。内容は立ち至らない。ただ、その書き出しはこうある。

「旅客来(きた)りて嘆いて曰く。近年より近日に至るまで、天変地夭飢饉疫癘(てんぺんとようききんえきれい)遍く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る。

牛馬巷(ちまた)に斃(たお)れ骸骨路(みち)に充てり、死を招くの輩(やから)既に大半に超え、悲まざるの族(やから)敢て一人も無し」という冒頭だ。

ざっくり翻訳:自然災害が起き、飢饉や疫病が流行し、牛や馬は路上に倒れ、人間の骸骨は道に積まれている。みんな悲しんでいるぞ。

という文だが、人間の骸骨は道に積まれているなんて、いくらなんでも、それは誇張と思っていた。

ところがこの方丈記をよむと、もしかして、それはかなりの事実かもしれないと感じた。
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方丈記にはこうある。

仁和寺に、慈尊院の大藏卿隆曉法印といふ人、かくしつゝ、かずしらず死ぬることをかなしみて、ひじりをあまたかたらひつゝ、その死首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁をむすばしむるわざをなむせられける。その人數を知らむとて、四五兩月がほどかぞへたりければ、京の中、一條より南、九條より北、京極より西、朱雀より東、道のほとりにある頭、すべて四萬二千三百あまりなむありける。いはむやその前後に死ぬるもの多く、河原、白河、にしの京、もろもろの邊地などをくはへていはゞ際限もあるべからず。」

大藏卿隆曉法印という坊さんが、道で死んでいる人にの額に「阿字」という梵語を書いて供養した。その数が四萬二千三百と書いてある。

あるいは、
「二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。或は春夏日でり、或は秋冬大風、大水などよからぬ事どもうちつゞきて」

「母が命つきて臥せるをもしらずして、いとけなき子のその乳房に吸ひつきつゝ、ふせるなどもありけり」

「山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず」

と、自然災害や大火事の様子などを書いている。
そういう時代が事実あったんだなあ。
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いやいや、最近の自然災害はすごい。そして、戦争の事例がある。

戦争中の東京大空襲の死者は11万5千人以上、負傷者は15万人以上、損害家屋は約85万、爆撃被災者は約310万人。そして、全国の主要都市が焼夷弾で焼かれている。死者累々の時代であった。

沖縄戦では、日本兵7万人余りが死んだが、沖縄一般住民の犠牲はそれ以上で、本島人口の三分の一が死亡した。また、広島の原爆では二十万の死傷者、長崎では十数万人。

ということで、死人を間近に見て暮らす時代があったわけだ。
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そうして、歴史は繰り返す。
人間は、利口にはならない。おんなじことを繰り返す。

飢饉、疫病、自然災害、そして戦争で死屍累々の時代がまさにくるのかもしれない。
リアルにそういう時代を迎えていくのかもしれない。そんな気もしている。
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さてさて、ではどうしたらいいか。
鴨長明のように、最低限の暮らしで自給自足。そんな覚悟がひとつ。

そして、互いにサポートしあえるコミュニティづくりがひとつ。
いずれにせよ、起きることは起きるのだ。それはそれで仕方がないとして、運命を受け入れて生きて死んでいく。

そんなところかなあ。
わからないけれども、時代が社会が没落していく、その姿を、じっくり観察していく。そして死んでいくのだ。