過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「人間日蓮」としての生き方、苦悩

日本で最大の新興宗教創価学会、あるいは日蓮正宗顕正会)などは、日蓮は釈迦よりも偉大であり、日蓮が究極である。日蓮は、南無妙法蓮華経と同体であり「日蓮本仏」とみなしている。南無妙法蓮華経は、あらゆる仏の源泉であるとする。
けれども、日蓮をそのような「本仏」としてみると、「人間日蓮」としての生き方、苦悩などがみえてこない。共感されない。なにしろ絶対的な偉大な人格であり、超越しているのだから、自分たちと同地平の人物、生き方とは到底思わない。
しかし、他の鎌倉時代の祖師方と同様に、日蓮という人は、本仏でも超越した真理身ではなく、「人間である」というあたりまえの地平に立ってみていくことがたいせつと思う。
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ざっくり日蓮の生涯に触れる。
日蓮は千葉の天津小湊という漁村の漁師の息子として生まれる。16歳で出家し、やがて比叡山で学び、諸国を遊学する。そして32歳のとき、立教開宗する。
その教えは、末法の世にあっては、釈迦の教えはもはや救いとはならず、『法華経』こそが真実の救いである。そして、『法華経』は南無妙法蓮華経という七文字に集約されているという。南無妙法蓮華経と唱えることが成仏の道であり、他の教えは、無得道であり世を乱すものだという。
末法において、『法華経』の肝心である南無妙法蓮華経を弘めるものは、『法華経』の神力品に示されているように上行菩薩である。その魁(さきがけ)を日蓮はおこなった。そして、『法華経』に予言されているように、この教えを弘めることで、数々の大難に遭う。
悪口、罵詈、打擲、そして幾度も流罪に遭うと『法華経』の「勧持品」には示されている。
日蓮は、自分はまさにそのような苦難に遭っている。自分は上行菩薩の役割を果たしているのではないか、いや上行菩薩ではないのか、とも思うようになる。
飢饉、疫病、騒乱など世が乱れているのは、念仏などの誤った思想が原因であり、悪鬼が乱れているからである。真実の正しい教え、『法華経』をみなが信ずるようになれば世は安泰となる。そのように幕府に進言したが(『立正安国論』)、とりあげてもらえない。かえっても他宗派の悪口の罪で流罪されてしまう(伊豆流罪佐渡流罪)。
やがて、『立正安国論』で日蓮が予言したように他国侵逼難が、現実に起きる。蒙古の襲来が事実となる。
しかし、それでも日蓮は幕府に受け入れられない、相手にされない。
そこで身延山にこもって、そこで弟子を育成しながら、法門を残していく。
やがて胃腸の病を得て、下痢で苦しみ、檀越のすすめによって常陸の温泉で湯治しようとして身延を離れて旅に出る。そうして、池上にやっとたどり着くが、そこで亡くなる。61歳であった。