過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

霊的存在と仏教の鎮護国家の思想、そして日蓮の教え。ざっくりと俯瞰してみた。

霊的存在と仏教の鎮護国家の思想、そして日蓮の教え。ざっくりと俯瞰してみた。

①人と国土は霊的な存在とかかわりがある。

②霊的な存在とは、目に見えないもの、はたらき。いわば精霊とか神とか先祖だとか諸天だとか守護神だとか。スピリット。

③それらが、人を見守ったり助けたり、いろいろあらかじめ段取りしてくれるのかもしれない。

④そういうものを信じなくても、「正直の頭に神宿る」ということわざのように、自らの行いが正しければ、神が守護するというとらえ方もある。

⑤あるいは、「天はわれらを見捨てたか」(八甲田山死の彷徨)のように、天から見放される時が命運が尽きた時となる。中国の「易姓革命」とは、支配者の徳が尽きたので、天が見捨てる。すると、「自分が新しく天の時を得た」として地上を支配するものが変わるという革命原理。孟子あたりが唱えた。

⑥仏教には「鎮護国家の思想」がある。仏教を信仰することで、諸天善神が助けて国が栄えるという考えだ。そのために精進潔斎したお坊さんが熱心にお経をよませると。すると、国が鎮まる。病気や飢饉、戦乱がなくなるという考えがある。中国仏教で唱えられ、日本はその思想を取り入れた。

聖武天皇は、自らを「三宝(仏法僧)の奴」と称して仏教徒になった。それは、災害や疫病が多発したという時代背景がある。そのため、東大寺の大仏をつくり、各地に国分寺をおいて、鎮護国家に功力があるようにした。東大寺の大仏(毘盧舎那仏)はホストコンピュータにして、各地の国分寺というの端末に力を及ぼそうとしたわけだ。

⑧さて、平安時代から鎌倉時代に移る。日蓮は、戦乱、飢饉、疫病などが起きるのは、正しい教えが信奉されず、誤った教えが流行したからだと主張した。その背景には、この鎮護国家の思想がある。

日蓮は言う。正しい教え(日蓮にとっては法華経のみ)を信ずる人や国土を諸天善神は守護する。けれども、誤った思想(日蓮にとっては念仏)が流行したので、諸天善神は国を去ってしまった。ゆえに、このように国土が乱れたのであると主張した(「立正安国論」)。文証に挙げたのは、鎮護国家の経典(法華経、薬師経、金光経、仁王経)であった。

⑩人々が法華経を信奉しなければ、さらに国土は乱れる。すなわち「他国侵逼難」(外国が攻めてくる)「自界叛逆難」(自国同士で争いか起きる)が起きる主張した。そして、実際にその予言から、9年後に蒙古からの国書が来て、蒙古襲来となる。

⑪かつての創価学会であれば、コロナ禍と戦乱の起こりそうな今こそ、「国家諫暁の時である」として、折伏に邁進したことだろう。が、すでにそのエネルギーはない。そもそも体制内にいるわけだ。日蓮正宗はもとより、弘教精神があるとは思えない。「顕正会」が声高に叫んているというところか。(続く)