「法華経」とは蓮の花の教え(英語でいえば、The Lotus Sutra)だ。それも純白の蓮。
蓮は、泥中から育つ。泥の中から泥を栄養素にして育つ。泥なくして蓮は育たない。そして、蓮は泥から出て泥に染まらない。
そこの一点に象徴されるのが、南無妙法蓮華経。
泥とはいわば、世間。あるいは、欲望、苦悩、迷い苦しみ。煩悩。
そういったものがあればこそ、それらを土壌にして純白の花を咲かせる。泥を憎むのではなく、泥があるゆえにこそ花が咲く。それが、法華経の教えということができる。
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南無妙法蓮華経というと、創価学会、日蓮。そこになにか狂信的な特殊な世界を想起させるかもしれない。
威勢のいい、あるいは得体の知れない不気味な呪文や真言(マントラ)と聞こえるかもしれない。
意味は「妙法蓮華経」というお経に帰依します、心から尊敬し人生の指針とします、ということになる。そして、先に述べたように、「白い蓮の花の教え」だ。
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「法華経」は大乗仏教の教えだが、初期仏教でもブッダは蓮を喩えにして説いている。いくつか挙げてみる。
大道に棄てられた塵芥の山堆の中から香しく麗しい蓮華が生ずるように(ダンマパダ)
麗しい白蓮華が泥水に染まらないように(スッタ・ニパータ)
音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように(スッタ・ニパータ)
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母の葬儀の時、坊さんをよばないで、自分で導師を行った。そして、南無妙法蓮華経と唱えて、その説明を話したら、参列者の多くの人が「そんな話は、はじめてきいた。はじめて南無妙法蓮華経の意味がわかった」と言われたことがあった。