昨日、来訪した友人から「仏教はいつから堕落したのか」と質問を受けた。それで、次のように答えた。
日本のいまの仏教は、堕落というよりも、ほんらいの仏教、すなわち「ブッダの教え」とは、逸脱している。
「ブッダの教え」とは、生きている人のための教え、迷い苦しみを超える道。ものごとをあるがままにみていく道。加持祈祷や先祖供養は、ほんらいの教えのありようではない。
そこで、ざっくりとその逸脱の過程を整理してみた。
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①鎮護国家の教えとして、受け入れられた。
坊さんは、国家公務員であり、飢饉、疫病、戦乱など起きないように祈ることが務めであった。そのために、「葬儀をしてはならない」と、僧尼令で禁止された。葬儀をすると死の穢れが伝染して、祈祷の力が弱くなるのだと思われる。
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②生き方としての仏教が伝わったのは、鎌倉時代の祖師たちによって。
「念仏の声のするところ我が遺跡」と法然。「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず」「(私が)閉眼せば、賀茂河にいれて魚に与うべし」とは、親鸞。「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」は、道元。
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すべての人が檀家として割り振られていたので、布教の自由はなかった。寺院は、戸籍や通行手形を発行する役所のようなものとなる。また、寺子屋として教育の場でもあった。
葬儀を行うことが寺院の務めとされた。そこから、葬式仏教が定着した。それでも、僧侶の妻帯は禁止されていたので、寺院は有能な弟子が後継となっていった。
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④明治になって僧侶の妻帯が自由となる。家業として寺院が継承される。
とともに、太政官布告で、僧侶の肉食妻帯は自由とされた。それ以前にも、ひそかに妻帯していたが、この太政官布によって、堂々と僧侶は妻帯し家庭を持つようになる。すなわち、家庭仏教となった。そうなると、寺院は自分の子に継がせたい。財産は子に譲りたいと思うのが自然である。
そのため、寺院は家業となった。寺に生まれた者は、仕事として、家業として、寺院という財産を継承することになる。出家とはカタチばかり。菩提心からではない。そこから現在の仏教のありようにつながってくる。
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⑤いま求められている「生き方の教え」。
今月末に、禅宗の布教師会の講師に呼ばれているんだけど、こんな話をしたら、嫌がられるかなあ。