日本の仏教は、まず「鎮護国家」が目的であった。僧侶の務めの第一は国を安んずること。飢饉、伝染病、戦乱の起きないよう、五穀が豊穣であるように、祈ることであった。
そのためのお経は、「金光明経」「薬師経」など。それらのお経は霊的な力があると思われた。なので、漢文のままの音読された。まあ呪文のようなものだ。
国を祈るために、僧侶には霊力が必要とされた。なので、精進潔斎がもとられた。また、死穢がうつるので、僧侶が葬儀をおこなうことは禁止された。
ところが平安末期になると、「末法思想」が流布してくる。ここで軸が大きく変わる。
「末法思想」とは、仏滅後、2500年経つとお釈迦さまの教えの功力がなくなるというのだ。教えがあっても形骸化し、形だけの伽藍、僧侶は堕落する。そして、実践しても実証が出ない、功徳がないとされた。
それはたいへん、ということで、その末法思想をテコにして現れたのが鎌倉新仏教である。
その先駆けが、法然の浄土教。法然は、末法の衆生は機根が劣るので、戒律をたもった修行など、とても難しい。易行道として、南無阿弥陀仏の口称念仏をすすめた。
そして、親鸞は、阿弥陀如来の絶対他力の教えを説く。われらのような地獄に落ちることは当然の悪人こそ、如来によって救いとられる、とした。
日蓮は、「法華経」こそが末法の衆生救済の教えである。その要は、南無妙法蓮華経と唱えることにあるとした。そして、我が身の安泰を願うならば、国を祈ることだ、と鎮護国家のありようを基底にした。
一方、道元は、末法など関係ない。正しい教えがあるのだから、ちゃんと正しく修行すれば、悟りはひらけるとした。多くを救うという有り様ではなく、たった一人でもいい、半人でもいい。正しい教えを伝えることこそがたいせつと説いた。
すごく大雑把に仏教を概観してみた。基軸は、鎮護国家と末法思想の2つから。