過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ベトナム仏教について

ベトナム「Chùa Việt Nam (チュア・ベトナムベトナム語ベトナム寺の意)」のお寺で縁があった感じたのは、次の点。
①**ベトナムの人たちの寄り合いの場**となっていること。サンガの機能を果たしている。サンガとはも、ともに学びああ場という意味だ。
②お寺を、土木から建築までみんなで力を合わせて作り上げていること。
ベトナム人の信仰心は、日本人以上にあること。仏菩薩、そしてお坊さんに対して。
④わたしたちのような日本人が不意に訪ねても、心から歓迎してくれる。食事さえも提供してくれること。
⑤シェルター的な機能になりうること。
ベトナム僧侶は、とてもフレンドリーでピースフルなこと。威張ってない。
⑦いっぽう、東南アジアの上座部の僧侶は、在家には威厳をもって接する。供養を受ける資格ある僧侶として、お礼は言わない。頭も下げない。しかし、戒律は厳格。ただ、国によって程度の差はある。ミャンマースリランカは厳しい。タイはゆるいかな。
⑧違和感を感じるのは、仏像とか装飾がキラキラして、いささか安っぽい、パチンコ屋的と言うか、美的感覚には合いにくいこと。
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以下、ベトナム寺院の概要をまとめてみた。
ベトナム寺院は、浜松市内には二つ。全国には、10数箇所あると思う。
②背景として、ベトナムからの移民の多さだ。2021年12月時点で、43万人いる。在日外国人の中では2番目の人口。一番はブラジルかな。中国かな。
③彼らの**コミュニティの形成の核となっている。寺院に来れば、たくさんのベトナム人の友人を作ることができる。コミュニティとつながって、リラックスできる。情報交換コミュニティのハブとしての役目も担っている。**
④**信仰の場としてだけではなく、駆け込み寺的な要素もある。行き場を失った人々の受け皿として重要な役割を果たしている。**
ベトナムでは国民の約70%が仏教徒。全国各地に1万4千もの寺院があり、僧尼は2万人。もちろん妻帯などしていない。
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ベトナム仏教の概要は次の点
ベトナム仏教はまず、仏教は約2千年前にベトナムに伝来した。日本のよりも遥かに古いのだ(日本は6世紀に伝来)。
②まず伝わったのは、初期仏教である。そして、中国に大乗仏教が伝わり、4,5世紀以降に政治支配とともにベトナム大乗仏教が普及した。
③禅、密教浄土教儒教道教、さらに民間信仰も混淆している。道教の神やヒンドゥー護法神、土地神や職業神も祀られている。
ベトナム社会主義の国であるが、宗教は認められている。ベトナムでは憲法で信仰の自由を保障されているが、規制はあると思う。1986年にドイモイ(刷新)政策が出されるまでは、仏教も含め宗教活動に対しては様々な許認可を要し、僧尼の教育も政府宗教委員会の監督を受けたり、信仰活動もいろいろと制約を受けていた。こうした規制は1990年以降緩和されているという。
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以上から日本仏教の特徴を見てみる。
①日本には初期仏教は伝わってこず、いきなり大乗仏教が渡来した。しかも、華厳とか唯識とか中観とか、ものすごく哲学的なものから。そんなものが、いきなりやってきても、九九もわからないのに、相対性原理が来るようなものだ。
②基礎がないのだから、わかるはずがない。ゆえに、お経はありがたい神秘的な呪文となり、鎮護国家、加持祈祷、儀式法要が主体の仏教となる。
鎌倉時代には、法然親鸞日蓮道元、一遍などが現れて、個人の救済をはかろうとする仏教が興った。しかし、江戸時代には、寺請制度、宗門人別改が徹底され、人々はどこかの宗派に属するように強制された。
④檀家が安定しているので、僧侶は布教しない。布教したら幕府から弾圧される。ゆえに、訓詁注釈や些末な学理探求の仏教となる。明治になった、太政官布告で妻帯が自由とされて、家業としての仏教、墓守としての仏教になった。ともあれ、肝心の生き方を教える仏教ではかった。
⑤妻帯して、寺に寺族が住むというのは、世界でも日本にしかない特徴である。
僧侶の家族がお寺に暮らしているので、普通の人たちは訪ねにくい。公益法人として税金を取られないものの、コミュニティーの場としては成り立ちにくい。檀家の故人や先祖の法要の場、墓を管理してくれる場としての位置にある。
いま寺で子ども食堂など開催する動きは、すこしはあるものの、シェルターとしての役割にはなりえない。お寺は困った人には声をかけない。困った人はお寺を訪ねなようとはしない。訪ねたら迷惑がられる。
そのような観点も含めて、9月3日に日本とベトナムの交流の集いを企画しています。