過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「国家」てなんなのだ。これがなかなか難しい。

「国家」てなんなのだ。これがなかなか難しい。
「国家」はこういう力を持っている。
①お金を製造して発行できる(いまは金本位制ではなくて管理通貨制度)
②制度、規則をつくれる(罰則を設けることで、人々を管理できる)
暴力装置をもつ(軍隊や警察に代表される)
それらによって、人々を支配できるのだ。
お金、制度による罰則、報酬、教育による思想統制ができる。
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マルクスは、「幻想の共同性」ととらえた。
国家は経済構造の反映でしかない。
経済的支配階級の利益を普遍的な利益として偽装する手段と位置づけた。つまり、「幻想」でしかないと。
それは、「みんなのもの」という幻想であり、実態としては、一部の資本家、金持ち、利権屋が動かしている。そしてまた、国家の背後にまた巨大国家があり、そのまた背後に金融資本がある。
すなわち、自分たちは独立した国家と思っているが、じつは一部の支配者に依存する・依存させられている「奴隷国家」といえるか。
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民主主義・国民主権とかいっても、わたしたちに主権はあるのか。
行政も司法も公平ではなく、一部の資本家、金持ち、利権屋のために動く。民主主義は、あたかも「国民主権」であるかのように、だましてみせる制度でしかない。選挙制度もはたして公正かどうか、アヤしいものだ。
そして、マスコミはそのことを衝かない。伝えない。資本家たちに支配下にあるからだ。むしろ国家のプロパガンダとして機能する。とくにNHK
「テレビが言ってたもん」。介護施設を経営していたとき、利用者さんたちがよく言っていた。テレビの言うことを信用して人々は動く。そしてまた同調圧力でみんなも従わざるを得なくなる。マスクやワクチンの事例を見ればわかる。
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そして教育だ。うちのあかりなど、小1の小さなとき、重たいランドセル、マスク、ヘルメット、横断注意の大きなトートバッグ、長靴、そして傘もってた。そんな装備は、かえってあぶないじゃないか。
ワクチン7回目を打とうとしている人たち。まだマスクして登下校している生徒たち。
みんな本質を考えようとしない。従順な人々をつくるのが、いまの学校制度である。従順で勤勉、我慢強く、自分で物事の本質を考えようともしない。「みんながやるからやる」という行動意識となる。巨大な宗教団体もその機能をはたす。