過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

薪を燃やしながら、戦後の流れをざっくりと考えた

露天風呂で薪を燃やしながら、戦後の流れをざっくりと考えた。頭の整理のために書いてみた。
 
①日本は戦争に負けた。連合国に無条件降伏した。
 
アメリカが日本占領統治した。アメリカは、野蛮で卑劣(お互いがそのように思い込んでいた)な日本の牙を抜いて、飼いならそうとした。
 
③そのためには封建制と家制度を払拭して、民主化しなくてはならないと考えた。また、アメリカの理想を劣等の日本に教えてやろうとした。
 
④日本の民主化は、軍国主義日本の徹底した解体であり、ひたひたと浸透してくる共産主義に対する防波堤の意義があった。
 
⑤日本を飼いならすためには、天皇制を残しておくほうがやりやすいと考えた。そこで、戦争責任の筆頭であるべき天皇の責任は問わないことにした。
 
⑥だが、天皇制を残しておくと、日本にふたたび軍国主義が復活する恐れがある。そこで、「戦力を持たない、戦争をしない」と憲法に規定させた。
 
封建制の解体と民主化の大きな施策の柱は、農地解放であった。300万戸が小作農から自作農になった。解放された農地は200万ヘクタール(総小作農地の8割)に及ぶ。
 
⑧このような大きな改革は、戦争に負けて外部からの強制力なくしてできないことであった。小作農から自作農になった人たちは、戦争に負けてよかったと喜んだ。大地主は悔しがった。
 
⑨山林は開放されず、山持ちはそのまま。焦土と化した日本、外地から帰還した人たちは家を作ろうとした。木材が高く売れた。山林地主は裕福になった。
 
⑩戦前、戦中と国家を統治した官僚制度はそのまま残った。アメリカが日本を統治するためには、かれらを活用することが便利であった。
 
⑪以来、日本はアメリカの顔色をうかがうことが国是となった。いまもアメリカによる支配がずっと続いている状態といえる。総理大臣も、アメリカの影響下にある。その総理を忖度して官僚たちがいる。
 
⑫それは、依存国家であり、真に独立した国家とはいえない。責任ある政治が行えない。他の顔色をうかがう、統一人格のない政治となる。