過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「〝もちつもたれつ〟の曖味な行為連関」「巨大な無責任への転落」となる天皇制

なぜあらゆる宗教が天皇制に巻き込まれてゆくか。
これから分析していこうとしている。
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明治維新とは、いわば「薩長収奪政権」なので、将軍よりもやんごとなき天皇明治天皇は、当時15歳だったか)をもってきて上に据えることで、人民を統治しようとした。岩倉具視が画策した「錦の御旗」である。

伊勢神宮は、全国の神社の最も上位の存在になり、天皇は「現人神」(あらひとがみ)となった。
神仏混淆の寺社は、どちらかにしろという神仏分離令がくだされて、多くは寺が潰された。廃仏毀釈
たとえば、興福寺春日大社と分離された。いま国宝の五重塔などは二束三文で売りに出され、焼却されるところであった。また、あちこちにある小さな神社は合祀された。神社合祀。
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天皇の御心にかなう生き方を幼少期から教育した。そのいわは教典が「教育勅語」である。
なにごとも天皇のことを忖度して、天皇の御心だとして統治していくことになる。
これは、いわばおそるべき無責任の構造に転落する。
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だれも責任を取らない共同体。当然、天皇は責任を取らない。天皇の臣下たちも、天皇の御心を忖度して行うわけで、責任を取らない。かくしてだれも責任を取らない日本となる。そして、空気が支配する。

コロナ禍で意味のない、合理性のない、科学的な根拠のないマスクをまだみんながつけている。それが日本である。

政治学者の丸山真男は、「決断主体(責任の帰属)を明確化することを避け、〝もちつもたれつ〟の曖味な行為連関」と述べた。

「天下は天下の天下なり」という幕藩制に内在した「民政」観念が幕末尊攘思想において「天下は一人の天下なり」という一君万民理念に転換したことが、維新の絶対王政的集中の思想的準備となったにもかかわらず、こうして出現した明治絶対主義は、当初から中江兆民によって「多頭一身の怪物」と評されたような多元的政治構造に悩まねばならなかった。

これはむろん直接には維新の革命勢力が、激派公卿と西南雄藩出身の「新官僚」との連立のまま、ついに一元的に組織化されなかった社会的事情の継続であるが、そこに、世界認識を合理的に整序せずに「道」を多元的に併存させる思想的「伝統」との関連を見いだすに難くない。

明治憲法において「殆ど他の諸国の憲法には類例を見ない」大権中心主義(美濃部達吉の言葉)や皇室自律主義をとりながら、というより、まさにそれ故に、元老・重臣など超憲法的存在の媒介によらないでは国家意思が一元化されないような体制がつくられたことも、決断主体(責任の帰属)を明確化することを避け、「もちつもたれつ」の曖味な行為連関(神輿担ぎに象徴される!)を好む行動様式が冥々に作用している。

「輔弼」とはつまるところ、統治の唯一の正統性の源泉である天皇の意思を推しはかると同時に天皇への助言を通じてその意思に具体的内容を与えることにほかならない。さきにのべた無限責任のきびしい倫理は、このメカニズムにおいては巨大な無責任への転落の可能性をつねに内包している。(『日本の思想』丸山真男著 岩波新書