過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

村上光照さんの思い出 お経の読み方

村上光照さんの思い出を少しずつ書いていく。
光照さんがお経を読んでいる場に居あわせたことがある。
まず、お経の言葉で場を浄める。
さまざまな霊(神々、諸天)に対してすごいエネルギーで供養の言葉をささげていた。言葉の内容は覚えてないが、その響きがすごかった。
そして、開経偈(かいきょうげ)。光照さんは澤木興道老師のお弟子さんで、宗派としては曹洞宗であるがも、日蓮宗の優陀那院日輝(うたないんにちき)の整えたものを読んでいた。
無上甚深微妙の法は 百千万劫にも遭い奉ること難し
我今見聞し 受持することを得たり
願わくは如来の第一義を解せん
至極の大乗 思議すべからず
見聞触知 皆菩提に近づく
能詮は報身 所詮は法身 色相の文字は 即ち是れ応身なり
無量の功徳 皆この経に集まれり
是故に 自在に冥に薫じ密に益す
有智無智 罪を滅し善を生ず
若しは信 若しは謗 共に仏道を成ず
三世の諸仏 甚深の妙典なり
生生世世 値遇し頂戴せん
この読み方がすごかった。
「その通りだ。その通りだ、まったくその通りだ」という宣言のような読み方。
仏に対して肚をきめてぶつかっていくような、いわば「直入」(じきにゅう)のような響き。
それから『般若心経』、そして『法華経』の如来寿量品の偈だったかと思う。
普通のお坊さんたちが読むお経の読み方は、いわゆる調子が良くて響きとしては心地よいものがある。「その通りだ」という宣言のような読み方をしているお坊さんは、光照さんしか知らない。
ううむ。こういう読み方があるのか、とたいそう驚いたのであった。