過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「華厳経」のエッセンスである「唯心偈」のお経を作っている

きょうは「華厳経」のエッセンスである「唯心偈」のお経を作っている。まだ長く続く。エッセンスはここまで。

訓読するとこうなる。

「心は巧みなる画師の如く、種々の五蘊を描き、一切の世界の中の法として作らざるなし。心の如く、仏もまた然なり。仏の如く衆生も然なり。心と仏と及び衆生とこの三は差別なし。諸仏は悉く了知せり。一切は心に従いて転ずと」

お経としてよもうとすると、訓読はわずらわしい。で、音読にすると、シンプルになるし、声を響かせやすい。

華厳経は、すさまじく長い。膨大。難しい。哲学的。壮大。華麗。

これを論じると煩瑣になるけど、ひとつの中核の教えは「唯心偈」だと思っている。

心というものが、この世界をすべて作っている。この世は自分の心が作り出したもので、それは幻のようなもの。

すべての環境、暮らし、この日常の現実。それは、わが心の反映である。すなわち、我が心を鏡で見ているようなもの。

なので、心を浄めることによって、この世界は変わる。

まあ、そのような意味だと思う。

しかし、このお経をよんでいる宗派はみあたらない。東大寺華厳宗なので、もしかしたらよんでいるかもしれない。

ふりがなもよくわからない。如は「にょ」あるいは「じょ」だったりする。画も「え」か「が」。無も「む」なのか「ぶ」なのか。中国から輸入した時の漢字の発音によって、いろいろちがってくる。

ちなみに、密教などは、成立と中国での翻訳の時代が新しいので、従来のお経と読み方が随分とちがう。

たとえば「理趣経」の「如是我聞。一時薄伽梵」という文句。従来のお経の読み方だと「にょーぜーがーもん いちじー ばくがーぼん」たが、これは「じょーしーがーぶん いっしぃ ふぁあきゃあふぁん」とよまれる。

ちなみに薄伽梵は、バガヴァットの音訳で、聖なるもの、悟った者という意味だ。漫画の「天才バカボン」はこれに由来するらしい。

仕事が忙しいと、こういうことをしたくなってしまう。