過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

伝説の禅僧 村上光照さんが亡くなった

1月22日に村上光照さんが亡くなった。昨日が通夜、本日が27日が葬儀だそうな。お会いしてから、20年余になる。
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もしや、この方が? と思って声をかけた。
──村上光照さんですか?
「はい〜、村上ですぅ〜」。
穏やかで悠然とした声の響き。なんとも人なつこい笑顔がかえってきた。
新宿南口公園。僧侶が、噴水の水を飲んでいた。地べたに座ってフランスパンをかじっている。「一所不住」で、リュックを背負って全国を行脚している僧侶がいると聞いていた。
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法華経のことやら音楽談義をしたのだった。
「ほうほう、あなたは詳しいねえ」
よく聞いてくれるので、ぼくは調子にのって話してしまう。
「人間、有名になったらあかんのですよ。ぼくはなるだけ、世に出ないように出ないようにしとります」
「どれ、でかけましょうか」と、もうひとりのお坊さんに声をかける。目が見えない方らしい。その方が、カーキ色の帆布でできた重たいリュック村上さんのかつぐリュックに手をかける。
そうして、お二人で、夕陽を背にのんびりと歩いていかれた。
──ははあ。こんな坊さんが、まだいたんだなあ。
余韻が残る出会いだった。
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何年か後。秋葉原の駅でばったりと、出逢った。
「おお、池谷さんか。うまいコーヒーがあるよ。そこで話をしませんか」
というので、駅の上にあった焙煎コーヒーの店で雑談した。
「ぼくは寺もありません。なんにも持ち物がありません。それで、ぼくはリュックひとつで、全国を行脚しとります。
でも、みながウチへ来て下さい、どうぞ、ウチにいて下さいという。
なんにもないっていうことは、なんでも持っているみたいなものだねえ。
どこに行っても、そこが道場。行ったところ行ったところで、ありがたいんですわ」
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それから数年後。南伊豆に遊びに行ったときに、──もしや村上さんがおられるかも、と思い、松崎の草庵を訪ねてみた。
幸いなことに、数日前に全国行脚から戻ってきたところだった。
小さな木造平屋の、粗末な草庵だ。床の間には坐禅姿の澤木老師の写真が掲げてあった。
近所のおばちゃんたち二、三十人が、草刈りの手伝いに来ていた。そのあと、みんなでワイワイと楽しそうに食事会。山菜の天ぷらをあげていた。わたしもまぜてもらった。しばしお話をうかがう。
いつものように「ほぅもほぅ」と聞いてくださる。笑顔、悠然さ、のんびりとした落ちつき、あの遊び心の楽しさ……。村上さんの声の響きの中にいると、ほっとしてくつろげてしまうのだった。
「人間あくせくせんでもどうにか生きていけるんじゃなかろうか」という安心感が得られるような気がした。
「仏法は餌食拾いの方法ではない。自分の本質がいきる生き方である。道のためには生命を全うしなければならぬが、道のために食えなければ飢え死にするまでのことである。」とは村上師の師匠の澤木老師のことばだ。
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村上さんの月に一度、供養に行かれるお寺に行ったことがある。
お経を読まれる前に、四方に向かって目に見えない神霊に供養を捧げる。
きっといろいろな心霊体験をつかんでおられるのだろう。
そして、お経の読み方に驚いた。「た しかにそうだ! まさにその通りだ!」という大確信の読み方。
法華経』を中心によまれていたが、自分で心から納得してよんでいるという感じ。
お経にこんな読み方があるのかと、目が覚めた心地がした。
 お布施のいただき方もすごかった。仏前で封筒に 入ったお布施を頭上に掲げて、なんどもなんども礼拝する。お布施とは自分がいただいたものではない。仏さまがいただいたものだ、というような姿にみえた。
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「池谷さん、歌舞伎にいかんかね」
あるとき、声をかけられた。信徒の方からいい席の券をいただいたそうだ。猿之助の歌舞伎だった。かなりいい席ではじめて歌舞伎を堪能した。いつもは、一幕物ではるか遠くから見ていたので。
玄米と大豆の炊き込みと菜っ葉だけのお弁当も頂いたのだった。それから、銀座の喫茶店で話をしたが、かなりハイペースで自分の世界に浸っているような感じで、ただただ聞くだけであった。やりとりができないなあと感じた。
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なにしろ伝説の禅師である。サンガという出版社に、村上さんの本の企画を提案した。
村上さんに公開インタビューしながら、それを本にするというかたちだ。
そんな提案をサンガの社長は受けてくれて、村上さんとのやり取りとなった。
しかし、話は次から次へとあらぬ方向に行ってしまう。
量子力学の話から、和算の話(何しろ京都大の大学院で理論物理を学んでいた。湯川秀樹の研究室にいた方だ。数学もものすごく詳しい)。それからヨハネの黙示録から、西郷南洲の遺訓。次から次へと法華経世界の発露のようなイマジネーションの爆発であった。
ただ、ちと認知障害が入っておられた感じで、コミュニケーションは難しいものがあったが、まとめ方によってはじつに面白い話になるなあと思った。
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結局、出版社の方も、ゴーサインが出ず、別の出版社も最終的にはうまくいかず、本にはできなかった。
すばる舎の方から「本にしましょう」という声がかかったものの、一緒に行く時、ちょうど村上さんがデイサービスに行く日にちと重なり延期となった。それから、伸ばし伸ばしで実現できなかった。
とこか出版社とご縁ができたら、本にするだけの取材した音声はたくさん持っている。