過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

8月10日、早朝、ポツダム宣言受諾を連合国側に伝える公電を打った しかし國體は護持されるのか?

8月10日、早朝、ポツダム宣言受諾を連合国側に伝える公電を打った。

前日の8月9日は、午前11時、長崎への原爆投下。未明には、ソ連の参戦。深夜の御前会議で、全面降伏が決定した。

全面降伏であるが、無条件降伏ではない。「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に」という条件をつけた。

あくまで「国体護持」にこだわった。

8月11日、朝日新聞には、情報局総裁の談話。「國體の護持のためには、あらゆる困難を克服して行くことを期待する。

陸軍は「神州護持の聖戦」を戦い抜く。「死中自ら活ある」といきり立つ。

そんななか、「國體の護持」が論議された。國體が護持されるのか、いやされないのか。
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しかし、そもそも「國體」っていったいなんだ。

それがじつは、明確ではにないのだ。

天皇制のこと? 天皇は処刑されないってこと?

政治学者の丸山真男は、分析している

以下、適当にポイントと思われる文のみピックアップする。
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「國體」という名でよばれた非宗教的宗教がどのように魔術的な力をふるったか。

茫洋とした厚い雲層に幾重にもつつまれ、容易にその核心を露わさない。

万世一系天皇君臨シ統治権ヲ総撹シ給フ」国柄。

精神的「機軸」としての無制限な内面的同質化の機能。
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あのようなドタン場に臨んで國體護持が支配層の最大の関心事だったという点よりおむしろ、彼等にとってそのように決定的な意味をもち、また事実あれほど効果的に国民統合の「原理」として作用して来た実体が究極的に何を意味するかについて、日本帝国の最高首脳部においてもついに一致した見解がえられず、「聖断」によって収拾された。

権威と規範、主体的決断と非人格的「伝統」の拘束が未分化に結合し、二者択一を問われないところにまさに「家」、同族団あるいは「郷党社会」(伊藤博文)とリンクした天皇イデオロギーの「包容性」と「無限定性」の秘密があった。(『日本の思想』丸山真男著 岩波新書より)