過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

五味太郎さんのインタビュー

「誰かに見てもらって点数つけてもらって休みもお金ももらう。自分が何がしたいかわからなくなっちゃってる」社会に生きてきた自分にとっては、まさにそのとおりで。
「毎日わくわくする。わくわくしながら仕事に行ってる人ってどれぐらいいるのかな」。まさに、そこですね。
朝日新聞五味太郎さんのインタビュー。とてもいいです。
文が長いので、適当にエッセンスだけ池谷が圧縮しました。
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普段から感じてる不安が、ひるがえってコロナに移っているだけじゃないかな。もっと言えば、不安とか不安定こそが生きてるってことじゃないかな。
心っていう漢字って、パラパラしてていいと思わない? 先人の感性はキュートだな。心は乱れて当たり前。常に揺れ動いて変わる。不安定だからこそよく考える。逆に、「揺るぎない考え方」って死んでるってことじゃないかな。
今みたいな時期こそ、自分で考える頭と、敏感で時折きちんとサボれる体が必要だと思う。戦後ずーっと「じょうぶな体」がいいと言われてきたけど、それはつまり、働かされちゃう体。
「かしこい頭」っていうのは、うまく世の中と付き合いすぎちゃう頭で、きりがないし、いざという時に弱い。
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やっぱり日本人って、誰かが命令してくれるのを待ってるよね。その方が楽というか、やりやすいのかな。
たとえば義務教育って言うけど、子どもにとっては教育って義務じゃなく「権利」だと憲法に書いてある。でも、6歳になったら必ず小学校に行く、他に選択肢がないんだもの。しかも(公立なら)学校も先生も選べない。
僕の娘は2人とも途中で学校に行くのをやめたけど、学校というタイプに向いてる子と向いてない子、あるいはどっちでもいい子がいる。
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おれは初等教育のプログラムって、ほとんどが「大きなお世話」だと思う。学校に行きたくない子どもに親が行きなさいというのは、子どもが「お風呂が熱い」って言ってるのに、親が「肩までつかって100まで数えなさい」というようなもので、人類は進化してるはずなのに、いまだに根拠のない根性論が……。
熱さに意味はないけど、この熱さに耐えれば卒業証書、修了証書、そして退職金……と続いていく。で、疲れちゃって、考えるのをやめていく。
考えるのって面白いはずなのに。それを繰り返してるうちに、自分が何がしたいかわからなくなっちゃってる。誰かに見てもらって点数つけてもらって休みもお金ももらう。おれは「学校化社会」って名づけたよ。
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仕事は体を使ってするもので、しんどい・しんどくないは体で判断すればいいのに、その素直な感覚を無視してしまう。
この社会の不安って、好きなことで仕事をやってる人がとても少ないこと。「好きなことで食べていくなんて甘いよ」なんて子どもの頃に言われちゃうこともあるのかな。
おれ、もしかしたら異常かもしれない。起きて絵の続き描くのも、色塗るのも、大変だけど、毎日わくわくする。わくわくしながら仕事に行ってる人ってどれぐらいいるのかな。
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