過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

やがてくるであろうシナリオ

ドイツ銀行破綻が破綻。きたか。やがてくるであろうシナリオ。
世界各地の銀行取りつけ騒ぎ。口座封鎖。世界恐慌ハイパーインフレ。食料の枯渇。そうして、内乱が発生。
そんな予感がする。動乱の時代。新興宗教も現れるか。
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どうハラをくくって生きるか、だなあ。
死んだら死んだ。それは仕方ないこと。そこで完了。
未完了でも完了だ。「未完をもって完とする」だ。
だって、ものごとは、すべて未完だ。逆に言えば、どんなもの、どんな不完全なことでも、それ自体、完成している、満ち足りているとも言える。瞬間瞬間こそが完成と。
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ところで、きょう利用者さんを迎えに行ったとき、この山里の森をつくづく眺めた。
生い茂る人工林の杉と檜。暗くて窮屈でつらそう。うっとおしい。
どうしてこういう森になったのか。植林すれば儲かるからだ。せっせと汗水たらして、必死に植えた。
だが、生育する頃には、経費ばかりかかって収益にならず。森は放置。間伐できず、狭苦しく暗い。生物のほとんどいない。生物の多様性のない森ばかりがひろがる。
間伐、間引きすれば陽の光が当たる。そこからいろいろな植物が生育する。雑木も育ってくる。土地の中に種があり、それらが芽を吹き出して育つのだ。
しかし、間伐する費用など山林主にはないので、放置が続く。保水力もなくなり、鉄砲水が川に流れ込み、水害や土砂崩れも発生する。
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人類もこのようなものかもしれない。今回のコロナウィルスは、大量の間引き、間伐という意味合いがあるのかもしれない。そんなことを感じた。
さて、間伐をみている側に回るのか、自分が間伐されるほうになるのか。それぞれ「面々のはからい」「それぞれのカルマに従って」ということになる。