過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【肺と心臓と血液】2025.7.5

【肺と心臓と血液】2025.7.5

学生時代は試験のためにいろいろ学んできた。しかし、自分のこととして、我が身に起きるリアリティとして学んだものは、ほとんどなかったかなあ。その学びはいわば念的な理解だった。だから、身につくはずもなかった。

しかし、病を得ると、なにごとも「わがごと」になる。

たとえば、この身体が朽ちていく様子を生物学的に学ぼうとすると、理解の深みが違ってくる。知識が単なる情報から生きる実感へ洞察に変わる。

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私は昨年に「特発性間質性肺炎」という指定難病になった。身障者3級となった。

もっと前から患っていたのだろうが、症状として顕在化したのは昨年の秋以降だ。それまでは、空咳が続くなあと思っていた程度で、コロナの後遺症くらいに思っていた。なお、ワクチンは打っていない。

いかに元気であったかというのは、気田川の急流でカヤックを漕いで、倒木の下に巻き込まれて死ぬところだったほどだ。

しかしそれが、今では雑巾がけだけでも苦しくなった。階段の昇り降りや重いものを持ったり歩いたりするだけで、ゼイゼイ、ハアハアと呼吸が苦しくなる。

心臓もバクバクと頻脈になる。血中酸素濃度も90%以下に下がることがある。動くと苦しくなるので、少し動いては止まり、少し動いては止まり、という暮らしになってしまった。

まあ、体が動けなくなった分、いろいろなことを探求し、まとめて整理する意欲はますます盛んになっている。座って探求できるAIという便利なツールができたことも大きい。

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そこで、すこし生物学的に心臓、血液、肺について整理してみた。

今はかつての肺活量の60%以下だ。もしかしたら50%かもしれない。そうなると、酸素を豊富に含んだ血液を全身に送れなくなる。そのため動けなくなる。その結果、心臓が頑張って速く強く拍動し、呼吸がゼイゼイと苦しくなる。

生命は細胞でできている。細胞は常に新陳代謝をしており、エネルギーと栄養がなければ死滅してしまう。

心臓は血液を全身に送り出し、血液は赤血球内のヘモグロビンが酸素を運ぶ。血液は細胞にグルコース脂肪酸などのエネルギー源、アミノ酸や脂質などの栄養素を運び、生命活動を支える。心臓に問題があると(例えば心筋梗塞や心臓弁膜症)、血液を効果的に送り出すのが困難になる。

肺で呼吸して酸素を取り込み、二酸化炭素を排出する。これが呼吸だ。呼吸ができなければ酸素を取り込めず、細胞は死んでしまう。まさに「息を引き取る」ということで死ぬわけだ。

私のように 肺炎になるとと、酸素を取り込む効率が低くなる。また、骨髄がんなどによる貧血の人は、酸素を運ぶヘモグロビンが不足するため、動くたびに疲れやすくなる。

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生きている限り、生物には「もっと生きたい」「もっともっと」という気持ちがある。その「もっともっと」は、脳だけでなく、全細胞に宿っているのだと思う。全細胞に対して、生きるために必要な酸素や栄養を運ぶ新鮮な血液が届かないと、細胞は死滅してしまうわけだ。

「ああ、死にそう」「あっ、エネルギーが来た、生き返る」「ああ、死にそうだ」「あっ、エネルギーが来た、生き返る」と。あるいは、古い細胞が死に、新しい細胞が生まれる。それは瞬間瞬間、生老病死を繰り返しているともいえるだろう。

仏典には、「宇宙のはてを知りたければ、自分自身をよく調べよ」というような内容があったかもしれない。病を身体を「わがごと」として体験的に見つめ直すことで、生命の真理や宇宙の法則に少しは近づけるのかもしれない。