過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

挑戦しつづける姿勢、出会った人と渾身の力でやりとりする姿勢は、死の瞬間まで

S大の大学院生が2名来てくれた。研究と学びのためだ。

N君は、理学療法士の資格あり。機能訓練のプログラム作りに参画してもらうことになる。こちらはフィールドを提供し、ともに「転倒予防教室」のような講座を開催していく。ひとり暮らしのお年寄りの見守り支援のリサーチも行なっていくことに。

Vさんは、ベトナム出身の女性。ベトナムの大学で、ファイナンスMBAを取得。言語聴覚を研究。英語も達者だ。発音も正確。日本に来て10ヶ月で、言葉も伝わるし話せる。ラテン語も学んだという。ピアノで聖歌など演奏してくれた。やわらかい波動が施設に流れた。
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明日は、保育所づくり(保育ママ制度の活用)のため、行政の人が来訪し、施設を見てもらう。

お年寄りと幼児が交流できる施設に。子育てママさんが、子どもを施設内に預けて働ける環境づくりになるかも。そのために、いろいろとまた書類をたくさん提出しなくちゃならないけれど。
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友人の奥さんが亡くなった。朝、起きたら冷たくなっていたという。一昨年、東京の国立市で「田舎暮らし入門」の講座を開いた時、来てくれた。それが最後の出会いとなった。

人間、いつ死ぬかわからない。いつ天災がやってくるかもしれない。
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「未完をもって完とする」でいい。ついぞ完成など、ない。

しかし、挑戦しつづける姿勢、出会った人と渾身の力でやりとりする姿勢は、死の瞬間まで持ち続けていきたい。

 

チベット仏教のタンカの出版について

チベット仏教の美術品コレクターが、未公開の収集品500点にも及ぶタンカ(マンダラ)の出版をしたい。クオリティーの高いものを。西安などの都市に美術館を設立し、そこに寄贈・展示したい。
そのために、チベット仏教に詳しい専門家チームを形成して、現地で現物確認、および撮影、執筆、偏集、出版のエキスパートのチームを形成したい。
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そんな夢のような、雲をつかむような話があった。友人を介して、サポート依頼がきた。
どこまでリアリティのある話なんだろう。資金的な裏付けがあるのかどうか。出版に至るプロセスなど、これからやりとりをしていくことになる。だいたい、ぼくにそんなプロデュースする力があるとは思えないけど。縁に従って動くだけ。
で、アクセスした人ときょう電話でやり取り。
マンダラについての、ぼくなりの解釈を大雑把につたえた。
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①マンダラというのは、密教のツール。しかし、日本のマンダラは、平安時代空海が唐から招来した前期密教。「大日経」に代表される。
②いっぽう、チベット仏教は、後期密教にあたる。こちらは、日本には伝わらず。秘密集会タントラなど。
③マンダラは、いわば瞑想のツール。エネルギーを集中させる媒体。あるいは、神仏の世界と融合する入り口。輪円具足。
深層心理学ユングなどの分析では、自己同一性、精神の統合をする過程でマンダラを無意識に描いていく話。
⑤礼拝のありようとしてのマンダラ。神々の礼拝の順序を、その姿を上空から捉えると金剛界曼荼羅となる。ヤッギャの儀式(神々に供養する、火の儀式)の上空からとらえると、胎蔵界曼荼羅となる。これは、ぼくがインドで実体験したマンダラの捉え方。
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さきほど友人のインド占星学のアドバイスをいただいた。
今の運勢が呼び寄せている現象の一つ。(彼からは、12月から土星期から金星期に移行するので、運勢が急上昇と占ってくれていた。実際、そうなってきているみたい)
しかし、金銭的には魅力のある提示があったとしても、交渉や契約において話しが違っていたとか、トラブルが起きたり、ストレスを感じる暗示も出ている。念のために一つ一つ確かめながら進めていったほうが良い。
……ということであった。
ともあれ、いろいろなおもしろい現象が次々と起きていく日々。ますます足元に注意。脚下照顧かな。

思えばいろいろやってきたなぁ。いつまで続くこの登攀の道。

転職しようという人にアドバイスで書き込んでみたが、思えばいろいろやってきたなぁ。いつまで続くこの登攀の道。
最初の生き方は「寄らば大樹の陰」。その間、ここがいやなら次と、一部場企業を3つ転職。ドイツやイギリスを担当したり、株主総会の担当したりしたが、サラリーマン時代は、ぬくぬくして不満たらたら、使い物にならない社員だった。上司は困ったと思うよ。
で、サラリーマンは、まったく向かないことがわかった。で、後先考えず、サラリーマンやめたのが37歳。
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やめてはみたものの家賃も払えず、仕事しなくちゃならない。駿台学園に採用されて、台湾での日本語教師の道も考えたよ。真珠の養殖の仕事しないかという話もあった。
お寺から新聞作ってくれと言われて、あてもなくフリーの編集に進んだのが、42歳。そこから、大学の新聞作り、都庁の労働新聞作りまでやった。
お寺の檀家さん向けの寄付依頼の模範文例集づくりから、美輪明宏さんをたずねてインタビューして本作りとか、飯田史彦さんの大学に行ってインタビュー取材とか、千日回峰行のお坊さんの取材とか面白い出会いが沢山あった。インドのカレーショップで談志師匠の取材もあったが、忙しくて断ってしまったのが心残り。
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そのうち、42歳は厄年。厄ではなくて、「役に立つ」ことをしなくちゃと、ワークショップを主催したのが、42歳。ヴィパッサナー瞑想、アフリカンドラム、曼荼羅アート、気功にカバラとなんでもあり。貴重な出会いがたくさんあった。
でも、オウム真理教と間違えられて、苦難。ワークショップはやめた。
その間、インドを旅すること13回。インドのアシュラムやハワイのワークショップまで企画した。こちらも、突然のひらめきだった。危ない綱渡りだけど、なんとかなるものだった。
そうして、これまたなんの知識もなく、医学書作りが45歳。京都大学レベルの教科書にもなったよ(執筆は医者、ぼくは編集と版下制作)。葬式2,000件やった坊さんの本を作ったら、なんと16万部も売れた。
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やがて、東京暮らしから突然の田舎暮らしが57歳。NPO法人立ち上げ61歳。田んぼ始めたのが64歳。結婚して子供が生まれたのが65歳。神社・寺・教会カフェを企画したり。インドネシアハラールの食品加工場探しのサポート。古家の解体の親方。そうして、このデイサービス事業はじめたのが67歳。いまに至る。
おもえば先の見えないチャレンジの連続。要するに「こらえ性」がないってことかも。ま、これからも、そんなことばかり続くかも。ゆっくり休むのは、死んだ後でいい。

カルマの解消は逃げ出さない、直面すること

カルマ(業)と言うのはその人が背負ったものでありその人自身が解消すべきものである。
それは「過去の蒔いた種を刈り取るということ。起きてきた現実は、自己責任であり、自分が起こして自分に帰着したことべて自己責任、自分持ちということだ。
カルマ(業)は、話したこと、聞いたこと、行動したこと、思ったことが、原因となる。それが、いつの日か結果を呼ぶ。それは過去世からのものがあるかもしれない。それがカルマ論の一つの基軸。
しかしそれだと、あたかも「借金を返す」ようなイメージが付きまとう。しかし、いい種も悪い種もある。福徳であったり、苦難であったりする。
ともあれ、起きてきた現実は、すべて自己が選んだものである。選択したことが現実となって現れているということ。
それは実は、深い意識の底の部分でも、この現実を通して、自分で学ぼうとするために自分が用意したというとらえかたもある。自分の魂を磨くために、境地を高く深いものにするために、あえて自分が用意したしたということ。
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自己責任であれ、自己の選択であれ、起きているみの現実をどうするか。どうしたらいいか。その現実とダンスするしかない。逃げない。直面する。自分が選択したものだとして、しっかりと受け止めるしかない。カルマの解消のポイントと思っている。それがいちばん早道。逃げればおってくる。さらに大きくなってしまう。
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霊能者とかグルとか聖職者に金銭を支払って、カルマを解消しようというのはどうか。それだと、せっかすく自分が自分に与えた試練を、逃してしまうことになる。その試練を通して学ぶ機会を失うことになる。自分の力で解決しないために、同じようなことが、心底気づくまで、何度も起きるかもしれない。
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もうひとつ、こんどは加持祈祷する側の問題。金銭と引き換えに、その人の人のカルマを引き受けてしまうことになる。加持祈祷で大きな収益を上げたということが、分に合わない割に合わないことになってしまうかもしれない。他人のカルマを背負うのは辛い。
加持祈祷とは、あくまで本人が自ら行うこと。自ら神仏に対峙して祈るべきこと。聖職者の仕事とは、そのための祈り方の指導、祈りの場作りとアドバイス励まし、モチベーションアップ、ということはあるかもしれない。
※いつも寝付きが悪いので、寝る前にこうしたことをiPhoneに向かって音声入力して原稿にしている。すると、いつしか眠っている。ずいぶんとかわった、睡眠導入法と我ながら思う。

ひとり暮らしのお年寄りの見守り支援、幼児の交流の場作り

ひとり暮らしのお年寄りの見守り支援、幼児の交流の場作り。これからのテーマになりそう。
「お年寄りの見守り支援」:山里は過疎高齢が進み、ひとり暮らしのお年寄りが多い。うちのデイの施設に通われている人も、ほとんどがひとり暮らしだ。
いつ何時、転倒して骨折という恐れは十分にある。デイに通っている間はまだ安心だが、家に帰ったら一人なので、そこは家族が心配する。
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いつも郷土の歴史を教えていただいている大先輩(86歳)に電話した。いつも、すぐ出るのにつながらない。奥様は、施設に入られていてひとり暮らし。もしや、と思ってあちこちに聞いてみた。
こういうとき、近隣や自治会など、手元に準備してないので、調べないとわからない。
いろいろ聞いていったら、どうも年末に救急車で医大に運ばれたということはわかった。
そうしたら、きょう本人から電話があった。「なんとか、生き延びたよ」と声が明るいので安心した。しかし、今後もそういうことがあると心配。
「介護認定を受けるといいですよ。そうしたら、要支援か要介護になるので、訪問介護が受けられる。食事の支度とか掃除をしてもらえる。
あるいは、送り迎えつきでうちのデイが利用できますよ。自分の書斎と思って、使ってください」。
そのように伝えた。ま、しかし、なかなか踏ん切りはつかないと思う。
先週からうちの施設に来ていただいている「便利屋猿ちゃん」など、買い物代行とともにひとり暮らしの見守り支援の意義が大きい。
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子育て支援:とくに移住者の場合は、子供が小さいとお母さんに全面的に負担がかかる。
何しろ祖父母が近くにいない。親戚もいない。気軽に子供を預けられる家はない。また子供同士近くにいないので、一緒に遊ぶ相手がいなくなる。孤立化しやすい。
これからの未来を背負うのが子供たち。そしてこれまでご苦労されて日本を作ってこられたのがお年寄り。その両方は社会的弱者ともいえる。こういう人たちを、見守り支援することが大切と感じる。
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しかし、行政にこれを訴えても、なかなか時間とエネルギーがかかる。
自分ができることは自分で進めていくしかない。 さいわい昨年の12月からデイサービス事業を始めたので、この施設を拠点として、お年寄りの見守り介助、幼児の保育、地域の元気なお年寄りの寄り合いの場という形を作っていこうと思う。私設図書館も視野に入れている。
そこに障害者が入る。 縦割りではなく、融合した形で進めていくのがたいせつ。それぞれが、啓発しあい、支え合い、学び合い、元気をもらえるとおもう。
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自分の自分でできることはどんどん進めていく。そして形ができていく。あとは自然と流れていくかもしれない。後から行政もついてくる可能性だってある。
自分ができることを手堅くやっていくことしかない。上から動かすのではなく下からだ。末端からだ。過疎地からだ。そこにおいて、実例を示していく。やがて、動いていくものがあると思う。
はじめから「こういうダンスをしましょう」というのではない。現場で一人ひとりと出会って工夫していくうちに、それがいつしかダンスになる。
起きてくる現実からの発想。そこからやりとりしていくうちに、動きが起きていく。それが結果としてダンスとなっていく。

「あっ、あぶない!」というところを、お父ちゃんが抱きとめる

日曜になると保育園も保育ママもやってないので、あかりは家にいることになる。妻は風邪でダウン。ぼくは山ほど溜まった事務仕事がある。しかし、遊んであげないと騒ぎ出す。

近くの川の堤防の道の坂道。そこを三輪車で滑ってきて、勢いがつく。「あっ、あぶない!」というところを、お父ちゃんが抱きとめる。そういうスリリングな遊びをしていた。体力がいるなあ。

いまやっと、ひとり遊びで、積み木をしている。はーとため息ついていたら「はーって言わないで!」と叱られた。

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正規の雇用スタッフと、非正規のバイトをシフトで組み合わせる

デイサービスの事業をはじめて2ヶ月ちょうど。だんだん仕事の手順・段取りがわかってくる。
介護のポイント、ケアマネと家族とのやりとり、国保への請求、日々のプログラム、利用者さんとのやりとり、データ管理などなど。山ほどある。
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利用者さんが増えないと事業はやっていけない。しかし、利用者さんが増えても、人材の質がともなわないと、空回りとなる。かといって、高給で人材を雇うと、人件費だおれを起こす。なんとも難しい。
正規の雇用スタッフと、非正規のバイトをシフトで組み合わせる。質の高いバイトの人材をさがしていく。
利用者さんは、すぐには増えない。いまの利用者さんを大切にしていく中に、自然と増えていくのではないかという楽観的な見方もあるし、ケアマネさんに営業していくことも大切。そのあたりは、まだなんともよくわからず。
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いまは固定の利用者さんがいる。そして、サポーター。利用者ではないが遊びに来て、一緒に会話を楽しみお手伝いしてくれる人がいる。
先日は、Mさん85歳(女性)が来てくれた。聞き上手だし、やりとりの反応もいいので、来てくださると利用者さんとのコミュニケーションが進む。料理やおやつづくりの手伝いもしてくださる。とても助かる。
きょうは、Kさん91歳(男性)が来られた。50年、山仕事をされた方だ。足は少しもたつくががっしりしている。普通、男性だと年齢を重ねると、頑固になっておばさまたちとのやりとりは苦手。だが、この方は語り合いをしてくれる。
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昭和歌謡や演歌などが好きなので、一緒にたくさん歌った。ぼくの下手くそなギターの伴奏だが。上海帰りのリル、白い花が咲いてた、湯の町エレジー風雪ながれ旅川の流れのように、人生いろいろ、など。
ぼくも歌っていて楽しい。昭和歌謡は、メロディーもいい、とくに歌詞がいい。元気をもらえる。
Kさんは、いま通っているデイが気に入っておらず、「こちらに来たい」という。ただ、手続きが厄介だと言われ、保険を使わず「自費でもいいから、ここに来たい」という。
「いつでも遊びに来てくださいね」と言うと、「タダでは申し訳ない」と言う。「いや、いりませんよ。来てくれるだけでも助かるし」と言うと、「そうはいかない」という。「じゃあ、昼食代の600円でいいから」というと、「いや、一日遊ばせてもらうので」と2千円置いていかれた。
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来週には、S大の大学院生が二人、研修と研究を兼ねてきてくれる。スポットのバイトの人材も、すこしずつ来てくれるようになりつつある。
ぼくは、いろいろな人材の手配師となる。うまくシフトして組み合わせていかなくちゃ。
保育所保育ママ制度の活用)としての稼働は4月あたりからスタート。障害者雇用の制度も活用したい。来週には行政がその打ち合わせと視察に来てくれる。
まだ先は見えないものの、こうしてエネルギーは上がってきているようだ。もうすぐ立春だ。

空には、三日月と天の川がくっきりと

──お月様を見に行こう。それから、トンネルで大きな声出してみよう。

あかりといつもの夜の散歩。あかりは、リヤカーの中で、湯たんぽ入りのシュラフにもぐりこんで楽ちん。気田川がごーごー。風の音がびゅーびゅー。

真っ暗い道。誰もいない。空には、三日月と天の川がくっきりと輝いて見える。

あかりは、トンネルの中で、大きな声を出して響きを喜んでいた。お父ちゃんも声を出そうとすると、「だめー。だまってて。うるさいー」と叱られた。

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若い力は、ありがたい。施設にも活気が出る。利用者も喜ぶ

S大の大学院生、Nさんが来訪。「非常勤として学びに来たい」という。自らリサーチして、アタックしてくれた姿勢がいい。
即効的・実践的に対応はまだできるとは思えないが、学ぼうという姿勢と素直な性格がいい。
うちの施設は、非常勤として雇えるほどの余裕はない。しかし、月に一度、フィールドワークに来てもらうとありがたい。
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大した謝礼は払えない。しかし、いろいろサポートできるよと伝えた。
たとえば、デイの経営の同時進行ドタバタの体験が味わえる。利用者とのコミュニケーションワークが学べる。利用者の介助の実践が体験できる。ケアマネと介護保険の流れがわかる。他のデイへの紹介・多様な人材のネットワークに繋げられる。修士や博士論文のサポートをしてあげられる。情報管理、ネット活用のノウハウを教えられる。
……そんなメリットがあるよと、我田引水的に伝えた。
ま、縁があれば、定期的に来ていただくことになる。若い力は、ありがたい。施設にも活気が出る。利用者も喜ぶ。
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その他、大学生の実地体験、高校生の職場体験、幼稚園の慰問体験。
さらには、ピアノの先生の演奏と合唱の集い、編み物の先生の教室、日本舞踊、長唄、尺八、チベット体操、いろいろな人に来ていただこうと思う。お坊さんや神主も教えにきてくれないかなあ。

相手の人生の体験。相手の思いの世界に踏み込んで聞いていく

デイサービスには、いちおうはプログラムがある。
バイタルチェック、入浴、昼食とおやつ、リクリエーション、生活機能訓練、ゲームや歌など。
ただ、ぼくが経営者なので、そのあたりは臨機応変となる。
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11時過ぎに、「きょうはなんの日」というテーマで、きょうという日の記念日、生まれた有名人、早口言葉、体操、今月の歌……という流れがあって、そして昼食となる。
ここは、ぼくが担当しているが、利用者さんが少ないこともあって(3〜5名)、ほとんど座談会というか、対話形式での展開となる。
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たとえば、1月31日は、「愛妻の日」(131の語呂合わせ)としたら、みなさんどんな愛妻でしたか? どんなご主人でしたか? どんな思い出に残ることがありましたか? と聞いていく。
そうすると、嫁姑問題のことから、穏やかで優しかった夫の思い出話とか、いろいろとでてくる。でてくる。そこから、またやりとりがはじまる。
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また、きょうは、山下さんの五つ子が生まれた日なので、出産と育児について。
一人でも育てるのは大変なのに、双子、さらには五つ子となったら、おかあさんはどれだけたいへんか。睡眠などとれない。おっぱいもたいへん。生活費も大変。さらには、不妊治療のこと、産婆さんや産婦人科のこと。……など、育児にまつわる思い出話に花が咲く。
毎日、こうしたことをしているわけで、ずいぶんと場数を踏んできたことになる。
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わかったことは、なにはともあれ一方的な説明や話は伝わらないということ。
こちらのペースでは、相手の頭を素通りしていくだけ。そうすると、話していて元気がなくなる。徒労感がある。ぼくのこれまでの数々の講演会での講師の体験をふりかえると、そう感じる。
ところが、相手に反応と反響があると、そこから生きたやりとりがはじまる。そこに臨場感が起きてきて、言葉が伝わりやすい。そうすると、俄然、こちらも元気になる。
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どうですか? どんなことがありましたか? そう聞いていく。だれかが、なにか話してくれると、そこから話は展開していく。そしてまた、聞いていく。
ということで、予め素材は用意するけれど、ストーリーはないほうがいい。まさに、臨機応変
相手の人生の体験。相手の思いの世界に踏み込んで聞いていく。そこからまた話していく。そういう貴重な体験をさせてもらえるわけだ。

小豆の焙煎珈琲

小豆の焙煎珈琲。いつもはコーヒーの生豆を焙煎しているが、先日は大豆焙煎。これもおいしいが、きょうは小豆を試してみた。フライパンで炒めてミルで挽いてペーパードリップでろ過する。コクがあってなかなか美味しいが、すこしアクがある。ろ過された小豆のカスは、砂糖を入れていただく。それはそれでまた美味しい。次は、玄米焙煎。次はタンポポの根っこを焙煎してみる。

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寄り添うということ

「寄り添うこと」に気づかされる。
 
施設では、利用者の皆さんと、童謡と唱歌などよく歌う。ぼくはギターの伴奏(開放弦でどんな曲にも対応できる楽ちん奏法だが)。
ちょっと時間がある時、あるいは送りまでの時間に、「じゃあ、歌いましょうか」と臨機応変
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いい歌がたくさんある。、「ずいずいずっころばい」「とおりゃんせ」「春の小川」「七つの子」「赤い靴」「ゆりかごの歌」「雨々ふれふれ」など、次々と出てくる。
いい歌、きっと喜ぶだろうということで、歌をリードするのだが、こちらのペースとなりがちだ。そんなときには、ちょっと重たくなることもある。相手に寄り添ってないからだろう。いわゆる空回りというやつだ。
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きょうは、歌をリードしているとき、電話があったので、その場を離れた。
しばらくして、ある利用者さんが、なにかぶつぶつ言っている。
ん?なにかなあ?と思って近づくと、歌っていたのだった。
「春よ来い、早く来い。歩きはじめたみいちゃんが……」と。
その利用者さんの歌声に合わせて、ギターで伴奏した。やがて相手に合わせて、気配を消していく感じで、ぼくも歌う。
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これが「寄り添う」ということになったのかなあ。そうなると、相手も笑顔、こちらも嬉しくなる。
不思議なことに、身体にエネルギーが満ちるという実感がある。そうなると、疲れてこない。元気をもらえるという体験。

仏前に 新米ですよ はいどうぞ

昨年の12月からデイサービスの事業を始めた。利用者さんの生き方、暮らし方から学ぶ日。
Mさんは、大正15年生まれ。94歳。母が生きていれば、同い年。
見た目、80代、いや70代くらいにも見える。足腰もしっかりしている。歩行介助は、必要ない。

 丁寧な塗り絵をつくりあげる。さながら写経行のように無雑・無心に。料理も進んで手伝ってくださる。

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いつもおだやかな微笑み。すすんで自分のことは話をされないが、人の話を聞いて楽しそうにニコニコ笑っている。ほとんど怒りを表わさない。

 ──どうして、Mさんは、怒ったりしないんですか?

「だって、怒ったら自分が損じゃない。あとで疲れるじゃない」。

 そんなやりとりをした。

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その元気さの秘訣をみてみた。
どうも朝晩の読経にありそう。
送迎の時、部屋までお連れすることもあるが、そこに大きな仏壇がある。スイッチで扉が自動開閉する。

 朝と晩、『法華経』の一部と南無妙法蓮華経と唱える。それぞれ20分くらい。

この50年近く、まったく一日も休んだことはないという。
──すごいですね。普通の人には難しいことです。
「だって、〈おつとめ〉ですもの」。
──なるほど、〈おつとめ〉ですか。
「そうよ。〈おつとめ〉というのは、休まないこと、サボらないこと。いちどサボったら、キリがないもの」
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先日、ある雑誌にMさんの俳句が入選したのを見つけた。
「仏前に 新米ですよ はいどうぞ」

 ──ほら。この雑誌に入選していますよ。

そう伝えたが、本人は、「あら、そう?」とニコッとしただけで、とくに執着もされない。

やってきた縁とダンスしていくあり方

「先が見えない」「どうなるかわからない」「なにをどう準備していいのかわからない」。
いまデイサービス事業の渦中。昨年の12月1日に開業。
まさに、五里霧中。そこに、飛び込んでしまう。その緊張、先のみえない不安と希望の波、そこを進んでいく。ぼくのような人生は、そんなことが多い。
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あたらしい仕事に飛び込むと最初は戸惑う。当初は、このことが次にどう繋がるのかがわからない。仕事の重要度が見えない。軽い問題がかなり重大なことになったり、大変だあと思っていたことが大したことじゃなかったりする。
力の入れどころと抜き方が見えない。なので、つねにストレスがかかる。疲労する。しかし、その時期には、とても新鮮な緊張感と充実感がある。これが、慣れてくるとその新鮮さは失われてくる。「初心忘るべからず」とは、世阿弥の「花伝書」の言葉だ。
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三ヶ月、一年、三年というふうに、節でみえてくるのだろう。流れがわかってくると「この先どうなる」とわかってくる。そのための心構え、下準備をすることができる。余裕が生まれる。
そこは、人生経験だ。年季が入った人の仕事ぶりとなる。農業など、やることの流れは見えてくるので、手入れ、心の準備、支度、人の手配など、かなりみえてくる。
ぼくは、漠然としたイメージや直感はあるのだが、当初からしっかり構想があるわけではない。「やってきた縁とダンスしていくあり方」だ。
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というのは、現実は刻々と変化する。相手も自分も人も、時代も変化する。なので、当初の予定とか計画とか構想には縛られないほうがいい。羅針盤的にこっちのほうに行こうというのはあるとしても。
「変化する」というのがベースにあるので、そのうちに、次々と「じゃあこうしたらどうだろうか」とひらめいて、「ま、ダメでもともと。ひとつ、やってみるか。それがダメなら、つぎの手を打つ」みたいな感じで進めていく。
ひらめきから動くと、うまく運ぶことがある。ぴたりぴたりと人材が向こうからやってきたり、追い込まれて「土俵際のうっちゃり」みたいなこともよく起きる。
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しっかり構想して計画して動こうとすると、ぼくの場合、とたんに滞ってしまう。
これは、もともとの性分も大きいが、インド放浪13回という体験から身についたことでもある。

いのちはひとつ。ゆくいのちと、やってくるいのちはひとつ

うめた ちあきさん(童謡・叙情歌・オリジナルソング/作詩家&シンガー)が来てくれた。この花が咲いたような笑顔。施設内は、緩やかでゆったりと優しい波動に包まれた。
純粋で透明感のある歌声の響き。作詞した内容もまた、さらに胸を打つ。
お話の内容が深くてわかりやすい。それはすべて、うめたちあきさんが、実体験の人生でつかんだもの。豊かな感性でとらえたものだから。
母の看取り体験、父の見守り体験、子育ての体験、それらがすべてつながる。母を看とってその遺体を抱きとった瞬間、はじめて我が子を産んで、赤ちゃんを抱きとった瞬間。おんなじ感動で貫かれた。
まさに「いのちはひとつ。ゆくいのちと、やってくるいのちはひとつ」。そのように感じたという。
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うめたちあきさんの、歌声コンサートと看とりとおくりの体験を話していただく。
3月1日(日)11時と14時。場所は、「みんなの家」(浜松市天竜区春野町気田961-1)11時から、うめたちあきさんの歌とお話。
14時から、「見守りから看とり」のテーマで、田中康彦さんとの対談。池谷が司会進行、インタビューで進めていく。参加費無料。
田中康彦さんは、50代後半からアルツハイマーを発症した妻を見守り支え、そして、看とりと心をこめた手作り葬を実践。普段の日常を創造的におくっている。看とりとおくりもそうした、日常の完結としてとらえる。詳しいことは、昨日の投稿記事に。
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うめた ちあきプロフィール:天竜区佐久間町山香地区出身  実母の看取りをきっかけに2011年より作詩作曲を始める。
看取りをテーマに書いた作品「風の記憶」が第6回全国ゆずり葉音楽祭作詩作曲の部に入賞。 多摩童謡友の会主催 第29回「あなたも童謡詩人」優秀童謡詩人賞 第34回三木露風賞新しい童謡コンクール(兵庫県たつの市)入賞。新作童謡、ふるさとイメージソング、多数発表。
2018年5月よりライブ活動開始 遠州北遠各地の音楽イベントに出演。ふるさとを歌で応援する独自企画「うめたちあき の うた絵巻」展開中。日本音楽著作権協会JASRAC準会員 (一社)日本童謡協会[詩]会員 童謡詩[ぴちぽちの会]会員 和の奏「うたら」主宰。

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