過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

カルマの解消は逃げ出さない、直面すること

カルマ(業)と言うのはその人が背負ったものでありその人自身が解消すべきものである。
それは「過去の蒔いた種を刈り取るということ。起きてきた現実は、自己責任であり、自分が起こして自分に帰着したことべて自己責任、自分持ちということだ。
カルマ(業)は、話したこと、聞いたこと、行動したこと、思ったことが、原因となる。それが、いつの日か結果を呼ぶ。それは過去世からのものがあるかもしれない。それがカルマ論の一つの基軸。
しかしそれだと、あたかも「借金を返す」ようなイメージが付きまとう。しかし、いい種も悪い種もある。福徳であったり、苦難であったりする。
ともあれ、起きてきた現実は、すべて自己が選んだものである。選択したことが現実となって現れているということ。
それは実は、深い意識の底の部分でも、この現実を通して、自分で学ぼうとするために自分が用意したというとらえかたもある。自分の魂を磨くために、境地を高く深いものにするために、あえて自分が用意したしたということ。
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自己責任であれ、自己の選択であれ、起きているみの現実をどうするか。どうしたらいいか。その現実とダンスするしかない。逃げない。直面する。自分が選択したものだとして、しっかりと受け止めるしかない。カルマの解消のポイントと思っている。それがいちばん早道。逃げればおってくる。さらに大きくなってしまう。
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霊能者とかグルとか聖職者に金銭を支払って、カルマを解消しようというのはどうか。それだと、せっかすく自分が自分に与えた試練を、逃してしまうことになる。その試練を通して学ぶ機会を失うことになる。自分の力で解決しないために、同じようなことが、心底気づくまで、何度も起きるかもしれない。
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もうひとつ、こんどは加持祈祷する側の問題。金銭と引き換えに、その人の人のカルマを引き受けてしまうことになる。加持祈祷で大きな収益を上げたということが、分に合わない割に合わないことになってしまうかもしれない。他人のカルマを背負うのは辛い。
加持祈祷とは、あくまで本人が自ら行うこと。自ら神仏に対峙して祈るべきこと。聖職者の仕事とは、そのための祈り方の指導、祈りの場作りとアドバイス励まし、モチベーションアップ、ということはあるかもしれない。
※いつも寝付きが悪いので、寝る前にこうしたことをiPhoneに向かって音声入力して原稿にしている。すると、いつしか眠っている。ずいぶんとかわった、睡眠導入法と我ながら思う。