過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

相手があってこそ力が湧いてくる

利用者さんに、マッサージしたりヨーガやストレッチを教えると、こちらが元気になる。
「歌を歌いましょう」と、リードすると、歌っている自分がいちばんエネルギーをもらえる。
身体介助をしていると、自分の動作、相手の動きに鋭敏になる。自分の至らなさを思い知らされる。気づかせてもらえる。
なにを見ても、なにを聞いても、なにを読んでも、利用者さんにどう役立ってもらおうか、どういうふうに施設を運営しようか、というところにつながっていく。
自分のためだけだと、こういう力が出てこない。
相手があってこそ力が湧いてくると感じる。
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無量義経』(むりょうぎきょう)というお経がある。『法華経』の「開経」とされる。こういう言葉がある。
「未だ六波羅蜜(ろくはらみつ)を修行する事を得ずといえども六波羅蜜、自然(じねん)に在前(ざいぜん)す」
「修行」というのは、「身につく」「心身のありようが、定着する」というふうにとらえる。修行の目的は、「解脱」(苦しみを超える)にある。
そのために六つの行(六波羅蜜)がある。
六つとは、「布施」(ふせ:与えること)「持戒」(じかい:戒律を保つこと)「忍辱」(にんにく:辱めや苦難を耐え忍ぶ)「精進」(しょうじん:無雑・無心に怠らず邁進する)「禅定」(ぜんじょう:深い瞑想、あちこち飛んでいく思考の停止)「智慧」(ちえ:あるがままにみる)。
これらは、自分のためではなくて、相手のためにすることで、自然に六つの修行をすることになる。その力が湧いてくる、結局自分のためになる、と解釈する。
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デイサービスの経営は厳しい。リスクは大きい。ラクではけっしてない。
しかし、ありがたい仕事、学びのチャンス、心・たましい磨きの修行と実感する日々。子育てもそうだけど。
「山の修行よりも里の修行」と。

ものづくりも見守りも日常 その終点が看とりと送り 日常で終わる

静岡県の健康長寿財団の「生きがい特派員」をやっている。友人の田中康彦さんのことを原稿にしてみた。
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ものづくりも見守りも日常
その終点が看とりと送り 日常で終わる
        田中康彦さん(浜松市天竜区在住、78歳
アムール川(中国北東部の大河:黒竜江)をカヤックで下りたい。そのために、リュックに入れて持ち歩けるカヤックを作っている」。
─初めて田中さんにお会いした時、そんな話をされていた。
組み立て式のカヤックモノコックタイプ組み立て式カヌー)の特許を持ち、日々、工夫していた。
妻は、若年性のアルツハイマーを50代後半から発症して、その見守りに苦労されていた。やがて妻はデイサービスを利用する。症状が重くなると、グループホームに移った。
田中さんは、妻のケアのため、ホームに通える地に移住した。また、余暇をみて、竹をいぶして加工し組み立て、作業場兼交流場も作った(14坪28畳)。地域の集いやワークショプの会場に使われるようになった。
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ところが、3年前の2月の深夜。隣家が出火した。そのもらい火で、住居も持ち物もすべて灰となってしまう。「焼け残ったのは自分だけだった」と笑う。
新しく住まいを移したのが、という集落の近く。そこは、かつて何十軒も和紙づくりをしていた地域であった。
田中さんは、和紙づくりのワザを継承しようと思いたち、地元の古老の匠から学んでゆく。和紙工房もつくった。和紙づくりに興味ある人を対象に、ワークショップを主催してきた。
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妻は、心筋梗塞を起こし、認知傷害も進んで夫のことが、もう分からなくなくなる。田中さんはホームに通い、妻との身体接触や会話を試みて4年。やがて、妻は脳梗塞で倒れ、息も絶え絶えとなる。
田中さんは、「無理な延命治療はしない。平穏死をむかえさせてやりたい」と、水分や栄養補給の点滴などをしないよう、医師と確認する。
その間、田中さんは、を制作する。曲線のフォルムがいいとして、コンパネで組み立てた。に和紙を貼り、波に浮かぶ船のようなデザインとした。骨壷は杉の木をくり抜いて作った。骨は大自然に還すのがいいからだ。
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そして、10日目。妻は、平穏に息を引きとった。「特別なことはしない。普段の日常のままでおくりたい」として、北海道にいる娘夫婦と孫の4人、そして友人だけで、おくりを行う。まさに、手作り葬だ。
通夜には、妻が大好きだった井上陽水の「少年時代」、深い共感を呼ぶパブロ・カザルスのチェロ演奏「鳥の歌」を流した。
遺体のそばには、彼岸花とコスモスをたくさん入れて飾った。翌日の火葬には、自分のクルマに棺を乗せ、近くの火葬場まで運んだ。あくまで日常の一貫をたいせつにした。そして、最後の別れを告げた。
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多くの人が、「そんなにまでしてもらい、奥様は幸せだったわね」とため息をもらす。
田中さんは、この春、妻の実家の鹿児島までから沖縄に赴いて、そこでひとり静かに海洋葬を行う。
人生は日常にあり。ものづくりにあり。暮らしそのものが、創造的な日常と感じた。

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デイサービス事業の難易度の高いところ

ネタが尽きないデイサービス。
 
ケアマネさんからの電話。緊急入院していたFさん(99歳)が、再来週あたり退院となりそう。デイに通いたいと言っておられる。その時には車椅子になるかもしれない、と。送迎は気を使う。クルマに車椅子を乗せて運び、施設に着いたら下ろして、車椅子で移動する。なかなか難易度が高いなあ。
 
Oさん(89歳、男性)は、「足が冷えてつらい。デイは休みたい」と言っているという。「なんとか、連れて行ってくださいね」と言われた。家族もそう願っている。無理にお連れしてもいけない。かといって、ひとり暮らしでそのまま家にいても、心配は大きい。こちらも、難易度が高い。
 
明日は、抗ガン剤副作用のため、歩くのが大変そうなTさん(89歳、女性)が来られる。両手を持って、こちらは後ろに退きながらの介助となる。転倒が心配。目が離せない。こちらも、難易度高し。
 
「万が一」という事故が起きやすいのが高齢者。かといって、人手はたくさんかけられない。人件費倒れを起こす。質の高い人材の配置が求められる。そこがデイサービス事業の難易度の高いところ。

ネタが尽きないデイサービス

昨年の12月1日からデイサービス「みんなの家」の事業を行うことになった。
日々、利用者さんと接していると、ネタが尽きない。「介護」という仕事は、人に寄り添ってその人の立場に立って、ものを考え、その方の生き方をともに探ることでもあるのかなあと思う。
人に寄り添うというのは、これまでの人生には欠落していたこと。こうして、日々、実践の道に入ってくると、なかなかおもしろくて、深みのある仕事と感じてきた。
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Oさん(89歳、男性)は、転倒し大腿部骨折で入院し、3日前に、退院したばかり。朝、迎えに行くと「足が冷えてつらい。きょうは休みたい」と言う。
しかし、ひとり暮らしだ。そのまま家にいても、楽しくないだろうし、なにより心配である。「施設に来て、足湯と湯たんぽで温めましょうか。あとは、疲れたらベッドで休んでいればいいですから。家に帰りたいときには、いつでも送ります」ということで、来ていただいた。
足湯をしたら、「ああ、ぬくとい(温かい)なあ」。湯たんぽをセットしたら「ああ、気持ちいいなあ」。膝と膏肓と腎臓に手当(癒気)をすると、「ああ、湯たんぽのようにぬくといなあ」と、驚いておられた。
ぼくは、いつもは低体温気味なんだけれど、人に手を当るときは、不思議と手が温かくなるのだ。そして、疲れない。逆に元気をもらえる。
Oさんは、なんとか元気になって、夕方まで過ごされた。みんなで演歌も歌い嬉しそうだった。
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Mさん(79歳、男性)から、朝、「受診日なので休みます」と連絡あり。しかしその後、間違いと気づいて、当施設にふたたび電話しようとした。しかし、こちらが話し中であったために連絡がつかず。
免許は返上して、車の運転はできない。傘をさして、施設まで歩いて行こうとした。4キロの道のり。50分かかる。そして、長いトンネル(小石間隧道 600メートル)を歩いている時、近所の人が通りかかり、その車に乗せてもらって来られた。
「それだけ、みんなの家(当施設の名前)に行きたかったんだよ」と、明るい笑顔で現れた。嬉しかった。
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Nさん(89歳、女性)は、咳がまだ止まらない。 膏肓(こうこう:肩甲骨の間、首の下の背中)のところを、手で温めて差し上げた。「ああ、安心する、気持ちがいい」と言う。
この部分は、「病、膏肓に至る」という諺(ことわざ)があるほどで、たいせつなポイント。そこを温めると気持ちがいいし、元気にもなる。
Nさんは、室内の新しい歩行機(ブレーキで速度調節が5段階)で、すこし歩行訓練。「買い物に行くのに、こんな歩行車があるといい。ほしいわぁ」と言う。
そのことをケアマネとレンタル業者に伝えた。介護保険を使えば、月に400円で借りられるそうだ。
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きょう起きる時に腰を捻って、腰を痛めて休むというUさん(74歳、女性)には、電動ベッドを提案することにした。こちらも、介護保険を利用すれば、月に数百円くらいの経費だと思う。家族とケアマネに連絡。
便利な補助用具が進歩してきており、利用しやすくなってきている。こういう分野も探求していきたい。

掃除ロボット、ルンバ君登場

掃除ロボット、ルンバ君登場。きょうで2日目。
黙々としっかり掃除してくれている。掃除しながら、施設のマッピングもデータ化されて、どの領域をどうやって掃除したか、データが示される。
その分の人件費が節約されることになるのだが、さて実際にはどうか。まだよくわからない。
あと、人手がかかるのが、調理と食器洗い。これをどうしたらいいか。妻と論議している日々。

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耳が遠い方との交流

デイサービスでは、みなさんが、いちばん楽しいのは会話だ。たんなるおしゃべり、作業しながら、工作や塗り絵や料理しながらのおしゃべり。そういうことが、楽しいと思う。
ところが、年をとると耳が遠くなる。そうなると、会話の輪に入れない。孤独になりやすい。
利用者さんの中には、ほとんど会話が成立しない聴覚障害の方が2人おられる。
ほとんど筆談となる。100均のホワイトボードを使ってやり取りする。ときにはiPhoneの音声入力で、文字を拡大してみせたりする。
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Sさん(99歳 女性)は、それでも楽しそうにニコニコして、塗り絵をしたり、楽しい言葉を発する。だが、Wさん(88歳 男性)は、すこし孤独そうだ。
Wさんは、書道をしたり、般若心経を書写したり、読書やオセロゲームをして一日を過ごす。
きょうは、尺八の先生の慰問コンサートがあり、尺八の音がすこし聞こえたようだった。「白い花が咲いてた」という曲に心が動くところがあって、自分でもニコニコして立ち上がって歌いだしていた。
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その後、「月の砂漠」をハーモニカで吹きたいと言い出した。譜面を持ち出してきて、「どれがドだ、どこがファだ」ということになった。五線譜を書いて、「これがドだよ、レはこれ、ミは」という説明をして、ピアノの鍵盤に「ドレミ……」とサインペンでマークして、ポンポンと鍵盤を押して説明した。
ちょうど、米寿を迎えて、誕生パーティーをやった。その年にして、自分で探求していこうというところがすばらしい。なにか、いいすごし方が、なにか、楽しいテーマが見つかるといいなと思うが、なかなか難しい。
 
 

足腰から弱ってくる。いかに楽しく運動できるか。

歳を重ねると、足腰から弱ってくる。つまづいて転びそうになる。転倒すれば、大腿骨を骨折したりする。そうなると、長期入院だ。筋肉は退化する。そして、脳の認知能力も衰えてくる。
風呂ですべって転び、大腿骨を骨折したOさん(89歳)が、やっと退院。今年はじめての利用日となった。送迎のとき、慎重に介助。施設に来られたら、トイレに行くとき、風呂、立ち上がる時、座る時、ふらつきそうになるのを介助する。
また、初めての「おためしデイ」にKさん(91歳)が来てくれた。歌ったり会話したり、手首や指回しなど楽しんでおられた。けれども、長時間座っていて、トイレに行く際に、すこし足がもたついた。
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それで気がついた。「足腰の運動」をしなくちゃいけない。
しかし、反動を使って息を詰めたラジオ体操のような動きは、きついし楽しくない。リードするこちらもおもしろくない。
それぞれの身体状況に応じて、ゆったり、ゆっくり。息を吐きながら、吸いながら、筋肉の伸び縮み、関節の可動域を広げていく動き。「イタ気持ちよさ」を味わうような動き。ヨーガや気功のような動き。
できるだけシンプルなのがいい。
たとえば、その場で「足踏み」。両手を机について安全な足踏み。しかし、いちにさんし……とやるのでは、楽しくない。
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では、歌いながらの「足踏み」にしたら、おもしろくなるかな。
どんな歌がいいだろうか。
たとえば、 「村祭」(村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日)、「四季の歌」(春を愛する人は心きよき人)、「早春賦」(春は名のみの風の寒さよ)も「ずいずいずっころばし」、「てんてんてんまりてんてまり」とか。
そして、机に手をついて、ゆっくりと左右に腰を曲げる、あるいは膝を曲げる。そのときの歌は、たとえば「海」(海は広いな大きいな)「ゆりかごの歌」のようなゆっくりしたものがいいか。
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こうして、日々、工夫して創り上げていく。利用者さんの反応、反響、動きを見て、また改善していく。こうして毎日、ワークショップをリードする体験をさせてもらえる。ありがたい。その過程こそが、じつに楽しいことよ。

過疎地の最末端から、福祉の最先端の流れを生み出していけるかも

一ヶ月前から、デイサービスの事業を始めた。施設の有効活用と地域のニーズをみていく。すると「宿泊」「保育」「寄り合い場」の3つが考えられる。
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「宿泊」。利用者さんから、宿泊(ショートステイ)できるかどうか、よく聞かれる。きょうも聞かれた。
しかし、スプリンクラーの設置が義務付けられる。それには、設備に600万円くらいかかる。それは無理だ!と思っていた。
が、行政と確認すると、うちの規模では、その必要はなさそうなことが見えてきた。あとは、消防署と詰めていくことに。
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「保育」。この山里には「保育施設」がない。移住者など、祖父母や親戚がいないので、育児が大変だ。お母さんも働きたくても、子どもがいたら働けない。
では、デイの施設の一室を活用して、保育所としたらどうか。具体的には、「保育ママ制度」の活用である。
許可されれば、育児体験のある女性を雇うことができる。子連れママが、子どもを預けながら、うちの施設でパートで働くことも可能になってくる。
そこで、きょうは役所にでかけた。あかりも連れて行って子連れの打ち合わせだ。その間、職員が役所の児童室であかりを保育してくれた。可能性が見えてきた。
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「寄り合い場」。これは、施設内に「私設図書館」をつくる。地域の方が気楽に寄れる場所とする。「ちょっと寄ってみたよ」という場所であり、出会いの場、語り合いの場である。
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うまく動き出せば、「デイの利用者さん」「地域のお年寄り」「移住者」「幼児とお母さん」。これらが交流し融合していくこととなる。
縦割の福祉ではなくて、横断的な地域密着の福祉。みんなの福祉というか、「居場所」づくりというか、まさに老若男女のくつろげる場としていくことができる。
そうしたとき、過疎地の最末端から、福祉の最先端の流れを生み出していけるかも。そうなったら、おもしろいな。

空き家案内と買い物代行など

利用者さんと歌をじゃんじゃんと歌っている時に、突然、訪ねてきた人がいた。
「春野に移住したい」と言う。
Iさんは、蕎麦屋一休さんの紹介という。
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定職はある。春野から〈まちなか〉まで通うことになるという。そして、大型バイク(ハーレーの1300CC)が趣味なので、近所迷惑にならない田舎に暮らしたいという。
Iさんを施設内で待たせて、利用者さんたちと歌を歌っていた。時間が来たので、「いまから、利用者さんを家まで送るんだけど、同行しますか。帰りに、空き家を案内してもいいですよ」ということにした。
利用者さんの家まで送る道筋で、「ここも空き家」「あそこも空き家」と20軒ばかり、示した。
そして、帰りに、Iさんが買おうと思っている中古物件を見に行った。こういう不動産を見るのがぼくは大好きなので、つい、あちこちと見て回る。
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「この家が200万円」。
─だめ。この程度の家は、買うものじゃなくて、もらうもの。売り主は、売れずに困っているはず。家を解体するにも100万円以上はするし。
「この家は750万円」。
─う〜ん。たしかにいいね。日当たり、見晴らし、便利さ、きれいさ、申し分なし。しかし、隣の太陽光パネルがいやだなあ。500万円くらいに安くできるかもしれないよね。
「この家は、500万円」。
─別荘地だから、田舎の閉鎖性はないので、気楽に暮らせる。でもここは、日当たり悪いね。北を向いている。健康に良くない。湿気が多いのもよくない。気田川のすぐそばで、氾濫したら危ないよね。やめたほうがいいよ。
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などと、話しているうちに、「ちゃんと住んでくれるなら、土地と家をタダであげてもいい」という人がいたことを思い出した。
そこは別荘地でかなり遠い。道も悪い。しかしタダというのは、すばらしい。Iさんは、「あした見に行きたい」と言う。
そして、気田の町を案内。空き家の元旅館を案内したら、彼はそこを気に入って、「ぜひ、ここに、お願いします」という。
しかし、ぼくは不動産屋でもないし、そこの地主なども知らない。いま動く時間もない。
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「まあ、タイミングがあえば、地元に聞いてみるね。しかし、ぼくはいまデイサービスの仕事で、ほとんど忙しいので、期待しないように。
空き家の案内とか紹介はビジネスじゃあないので、忙しいときは、すぐに忘れてしまいます。ほんとに暮らしたいなら、なんどか足を運んできて、タイミングが合えば今日みたいに案内しますよ」
自由な時間と余裕があれば動けるけれど、いまはデイサービスの経営に一所懸命の時代だ。
しかし、「やってきた縁」は大切にしたい。なにかのとき、うちのデイサービスの送迎のバイトも頼めるかもしれないし。
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そんなことも話していると、かれは「買い物代行のようなこともしたい。仕事はまちなかに毎日通うことになるので、この地元のお年寄りの、買い物代行もやってみたい」と言う。
山里は店がほとんどない。お年寄りはクルマに乗れない。バスもほとんどこない。買い物難民は多いので、その人達のために役に立つことをしていけば、おもしろい展開があるかも。
ぼくも、買い物代行をしてもいい、とかねてから考えていた。ネットを使えない、クルマにも乗れない、そういうお年寄りたちが多い。
そこで、ほしいものをAmazonに発注すれば、このデイの施設に配達される。注文した人は、施設まで取りに来てもらえばいい。多少の経費、事務手数料などは、いただく。
ま、そういう利用者が増えたら、デイの仕事の集中力が削がれてしまう。かといって、人を雇うほどの利益が出るわけもない。これはあくまで、施設の魅力の一つとしてのサービスという位置づけだが。

童謡や唱歌をじゃんじゃんと歌った

「こんなに気楽にたのしく歌えるところって、ここしかないわー」
「ほんとにそうだわ」
と、利用者さんたちに喜んでもらえた。
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その方たちは、ほかのデイサービスも利用しているが、そこは気ままに歌えるような雰囲気ではないという。利用者さんが多い施設だと、どうしても「はい、みなさん、こうしましょう」という形になりやすい。
こちらは多くても7名くらいだから、かなり自由気ままだ。
プログラムは用意しているものの、その人、その場、流れに応じて臨機応変でいく。なにしろ、こんなぼくが経営者だから。
個人的に寄り沿って、一緒にそれぞれ工夫していく。
塗り絵の好きな人は、そればかりに集中している。いわば写経みたいな精進行(しょうじんぎょう)にもみえるほど。
あるいは、絵手紙を書いたり、干し大根を作ったり、散歩に出かけたり。かなり自由だ。
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きょうは、歩くのもほとんど難しいという利用者さんがいた。しかし、「歌うことは大好き」という。それで、カリンバという指ピアノで伴奏しながら、じゃんじゃんと歌った。戦前のもの、戦後のもの。大正期のもの。
唱歌と童謡。たまに演歌。
大正ロマン期のものがいい。北原白秋の作詞した時代の唱歌など、すばらしい歌がたくさんある。
白秋の作詞には、たとえば、こんな歌がある。
ゆりかごのうた
この道は いつか来た道
あめあめふれふれ かあさんが じゅのめで 
雨がふります 雨がふる 遊びにゆきたし 傘はなし
赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた
チョッキン チョッキン チョッキンナ
ちゃっきり節
からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ
そのほか、西条八十の作詞もいい。中山晋平の作曲もいい。野口雨情もいい。山田耕筰三木露風もいい。
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歌っていくと、その情景が浮かんでくる。幼き頃の思い出がよみがえる。亡き父や母の面影が浮かんでくる。みなさん、そう言われる。
ぼくのほうは、歌うことで、元気が出る。エネルギーが湧いてくる。ありがたい仕事と思う。
そんな一日であった。

「筋トレ」であり「有酸素運動」と思って、がんばるしかない

あかりがカリンバを弾きながら、めちゃめちゃな歌を歌いだした。おとうちゃんのマネをしているのだ。
─よしよし、ひとり遊びをしてくれた。
そう思っていたら、「お風呂入ろう。遊んでー」とやってきた。
仕事は、中断して一緒に入らねばならない。
入るとだいたい一時間ちかくになる。
バシャバシャと湯をかけあったり、くすぐりっこしたり、水の底から「ワニが出てきた。ガオー、食べちゃうぞぉー」みたいなことになる。
あかりは、楽しそうに笑いころげている。「もっと遊んでー」と、体力の限界がない。
─もうおとうちゃんは、疲れたからやめたいよー、お風呂、出よう。
そう言っても、「だめー」と許してくれない。
こちらは、ヘトヘトだ。
まあしかし、こういう親子の裸の遊びなど、いましかできないわけで、まさに黄金のような時と思うことにする。
運動不足なので、「筋トレ」であり「有酸素運動」と思って、がんばるしかないわけだ。

田舎暮らしの負の側面について

ものごとは、いいところとよくないところの両面がある。今回は、田舎暮らしの負の側面について書く。
この山里は自然が豊かだ。そう思って移住したのだが、数年して気がついた。決して豊かではない。
「森」だ。森はある。しかし、ほとんどが杉と檜の人工林ばかりだ。紅葉はしない。林業は振るわず木を伐採すると赤字になるので、間伐しない。なので、密集した林で暗い。その森では、ほとんど生物は暮らせない。生物のいない森である。
そして、おそらく広葉樹と針葉樹では保水力に差がある。自然林のままでは、保水力のあったのに、人工林にしたために保水力が落ちる。ゲリラ豪雨などで、いきなり河川に水が流れ込む。すると、土砂崩れや川が氾濫しそうになるわけだ。
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「川」だ。きれいな清流はある。しかし、魚がほとんどいない。
いまの老人たちに聞くと、かつては鮎など飛び跳ねていて眩しいほどであった。鰻も一日に10匹も20匹もかかったという。それが、いまはほとんどいない。鮎は、稚魚を放流して、それを釣っているわけだ。
どうして魚がいないかと言うと、ダムができたからだ。ダムのために、魚が遡上できずに産卵しない。だから、魚がいなくなった。また、ダムのために、中田島大砂丘などは、ほとんど砂浜がなくなってしまった。山から流れる砂がダムにせき止められて滞留しているからだ。
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そして、いろいろな人に移住相談をするのだが、総論としていつも言う。
①豊かな森がある田舎がいい。自然林、広葉樹のあるところ。
②川がきれいで、魚がいるところがいい。
③温泉があるところがいい。温泉があれば、なんとリラックスできることか。健康にもいい。
④電車の駅が近い所がいい。年をとると、やはり移動がたいへんだから。
ということで、そんなに山奥に暮らさないで、そこそこの田舎がいい。
駅が近くて、森があって、温泉のある田舎というところ。そういうところは、わりとあるのではないかと思う。
そうは言っても、都会暮らしよりは、田舎のほうがのびのびと暮らしやすいし、いろいろ可能性も広がると思う。自分で仕事が作れる人であれば、田舎暮らしのほうが楽しいとは思う。

山里の響き合いコンサートの企画

ああ忙しい忙しいと言っているのに、また新たに企画を入れた。というか、すでに助成金の申請が採択されていて、それを年度末までにやらねばならないことに気がついた。ごめん、忘れていた。

それで、すばらしい友人たちにコンサートをお願いすることにした。主眼は音楽を通して、交流のネットワークづくり。その人の生き方、暮らしぶりも語ってもらう。

会場は、春野のデイサービスの施設(みんなの家)で行うので、体は楽ちん。対象は、利用者、地域の人、まちなかの人。デイサービスの施設の広報の意味合いも含めて。
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タイトル:山里の響き合いコンサート
全6回。午前は11時から12時半、午後は14時~16時半。
参加費無料。
会場、「みんなの家」(デイサービス施設:浜松市天竜区春野町気田961-1 TEL053-986-5010)
主催:NPO法人楽舎 協賛:「みんなの家」(一般社団法人あかり)助成:浜松市文化振興財団 後援:浜松市
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日程と演奏者

3/1(日):午前①うめたちあき(童謡・叙情歌・オリジナルソング)/午後②おおむらたくみ(アイルランド民謡の笛、コンサーティーノ、バイオリン)

3/15(日):午前③MAAASA(正岡しのぶ アコーディオン)/午後④浜松花蝶ちん(チンドン屋南京玉すだれ

3/29(日):午前⑤わげんMOKO(クリスタルボウル)/午後⑥キエロス(1部:ラテン系洋楽 2部:昭和歌謡の弾き語り)
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広報:パンフレット1月末完成、配布2月第1週、浜松市内の公民館と図書館、春野町は自治会を通して全戸配布、中日新聞静岡新聞に広報してもらう。

参加予定:10名~100名 予約不要。部屋には詰めれば30~50名。あとは、ベランダの立ち見席。

平穏死と手作り葬の講演会の企画

「平穏死と手作り葬」(仮題)

二人のお話を聞く。
一人は、漢方医であり僧侶の遠藤医師(春野ケアセンター理事長)の「いかに平穏死を迎えるか」。
もう一人は、昨年、自ら棺桶を制作し平穏死を見届けた田中康彦さんによる「心のこもった手作り葬」。
池谷がお二人にインタビューしながら進めていく。参加者も含めて、語り合いの集いを開催する。

3月22日(日)の14時〜16時。
場所は、春野町の「みんなの家」(デイサービス)。
参加費無料。
「在宅看取り勇美記念財団」の助成事業。浜松市の後援予定。
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「納得のいく看とりとおくり」をテーマに、過去2年間、講演会と講座を10回ほど展開してきた。
また、忙しさに輪をかけてしまうが、こちらも助成事業が採択されていて、「後で後で」が、ギリギリの年度末で開催ということになった。
いまデイサービスの事業を行っているが、きょうは利用者さんを送った帰りに「まほろば文庫」(私設図書館)に立ち寄ると、そこに遠藤医師がおられた。
それで、講演のことをお願いし、日程を決めた次第。
こちらも、今月末までにチラシを作って、市内の公民館図書館に配布する。
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次から次へと過密スケジュールとなる。まあしかし、これまでとちがって、散発的な企画にはならないと思う。
デイサービス事業が安定してくれば、「みんなの家」という施設を生かして、参加者同士が、有機的につながっていく流れができる。くわしいことは、また後日。

 

大豆焙煎珈琲

この数日は、大好きなコーヒーから、大豆焙煎コーヒーにかえてみている。どうしてもコーヒーを飲みすぎるためだ。
作る方はかんたん。大豆を焙煎して、細かくパウダー状にする。ただ、フツーのミルでは機械が壊れるので、よめっこ、というような米など粉砕できる強力なものが必要。
それをティッシュと金ザルでろ過する。コーヒーのろ過紙やキッチンペーパーでは時間がかかりすぎる。ティッシュ2枚くらいが適当。
ノンカフェインながら、コーヒーに負けないほど、おいしいものができる。しかも自分で作った大豆だし、無農薬だ。これをミルクと砂糖を入れて、コーヒー牛乳にしても美味しい。
濾して残った大豆のつぶつぶは食べればいい。砂糖をまぶしていただくと、これまた美味しいのだ。
そのほか、タンポポの根っこも焙煎したら、代用コーヒーになりそう。こちらは、引っこ抜いて焙煎するのは手間だけれど。今年は、オーガニックなものに挑戦だ。