過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

やってきた縁とダンスしていくあり方

「先が見えない」「どうなるかわからない」「なにをどう準備していいのかわからない」。
いまデイサービス事業の渦中。昨年の12月1日に開業。
まさに、五里霧中。そこに、飛び込んでしまう。その緊張、先のみえない不安と希望の波、そこを進んでいく。ぼくのような人生は、そんなことが多い。
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あたらしい仕事に飛び込むと最初は戸惑う。当初は、このことが次にどう繋がるのかがわからない。仕事の重要度が見えない。軽い問題がかなり重大なことになったり、大変だあと思っていたことが大したことじゃなかったりする。
力の入れどころと抜き方が見えない。なので、つねにストレスがかかる。疲労する。しかし、その時期には、とても新鮮な緊張感と充実感がある。これが、慣れてくるとその新鮮さは失われてくる。「初心忘るべからず」とは、世阿弥の「花伝書」の言葉だ。
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三ヶ月、一年、三年というふうに、節でみえてくるのだろう。流れがわかってくると「この先どうなる」とわかってくる。そのための心構え、下準備をすることができる。余裕が生まれる。
そこは、人生経験だ。年季が入った人の仕事ぶりとなる。農業など、やることの流れは見えてくるので、手入れ、心の準備、支度、人の手配など、かなりみえてくる。
ぼくは、漠然としたイメージや直感はあるのだが、当初からしっかり構想があるわけではない。「やってきた縁とダンスしていくあり方」だ。
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というのは、現実は刻々と変化する。相手も自分も人も、時代も変化する。なので、当初の予定とか計画とか構想には縛られないほうがいい。羅針盤的にこっちのほうに行こうというのはあるとしても。
「変化する」というのがベースにあるので、そのうちに、次々と「じゃあこうしたらどうだろうか」とひらめいて、「ま、ダメでもともと。ひとつ、やってみるか。それがダメなら、つぎの手を打つ」みたいな感じで進めていく。
ひらめきから動くと、うまく運ぶことがある。ぴたりぴたりと人材が向こうからやってきたり、追い込まれて「土俵際のうっちゃり」みたいなこともよく起きる。
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しっかり構想して計画して動こうとすると、ぼくの場合、とたんに滞ってしまう。
これは、もともとの性分も大きいが、インド放浪13回という体験から身についたことでもある。