過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

贈与税のかからない範囲で債権を贈与する方式

事業を継承しようという時、その会社が、社長が会社に貸し付けた金額(会社からすると社長に借入金)があると、船出が厄介である。錨が重すぎる。帆をあげられない。
たとえば、会社が社長から5,000万円の借入金があるとする。それは、社長が身銭を切って支払ってきたことによる結果であり、実際に会社に5,000万円の現金があるわけではない。帳簿上、資産として5,000万円の借入金がある。
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これをチャラ(社長は債権放棄、会社は債務免除)にしたい。
事業の継承をかんがえると、この社長からの借入金が問題となる(会社を清算してしまえば、すっきりするが、事業の継承が困難となる)。
社長からの借入金をチャラ(社長は債権放棄、会社は債務免除)にして船出したい。しかも、社長は債権放棄に同意している(赤字経営から事業から離れたい)。しかし、会計上、会社に「債務免除益」が生ずる。
すると船出早々、1,000万円以上の法人税がかかってくる。そんなお金があるわけない。しかも、利益がでそうにない会社である。さて、どうするか。
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まず、「繰越欠損金と債務免除額を相殺する」。それでも、3,000万円の借入金は残る。
そこで、いろいろな方法がある。
①課税されないレベルで、少しずつ債権放棄してもらう(100万円ずつ30年間とか)。②社長の債権を資本に組み入れる(社長は大株主として居続ける)。③ずっと借入金のまま先送りする(相続人が課税されるとか、相続人から債権を請求されるとかの問題はある)など。
税務署に聞いてみた。しかし、こういうことはアドバイスしてくれない。「税理士と相談してください」という。そこで、税理士と相談してみた。
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こういう案が出てきた。贈与税のかからない範囲(110万円)で債権を贈与する。
理論的には、100万円の債権を30人に贈与すれば、それで一発で債務免除益はなくなる。しかも、贈与された人に贈与税はかからない。
しかし、そんなに贈与に同意してくれる人がいるはずはない。そこで、3人に100万円ずつ贈与する。それを10年間かける。そんな方法があると思われる。
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以上、自分の頭の整理のために書いてみた。船出できるかどうか、まだわからない。いいアイデアがあったら、アドバイスお願いします。

蛇口をばーっとひらいて、空から水が降ってくるのを喜んでいる

あかりは、保育所はもう休みとなった。4月の幼稚園の入園まで、ずっと家で過ごすことになる。近くに友だちはいない。親がずっと相手をするとなると、ものすごく疲れる。じいちゃん、ばあちゃんもいないからね。とくにおかあちゃんにストレスが溜まる。そのストレスがこちらに伝わる。

あかりは、退屈で退屈で仕方がない。おとうちゃんとしては、遊んであげなくちゃ。ということで、ほたる公園にバケツを持って出かける。

あかりは、水道からせっせとバケツに水を汲む。そしてまた小さな容器に汲みなおして土に水をまく。
「こうやって、せっせと水をやれば花が咲くからね」と言っている。

お父ちゃんは疲れて休んでいると、バケツを持ってきた。
「水をこぼさないでね。ちゃんと見ておいてね」。
そんなふうに、念を押して、またバケツの水を汲みに行くのだった。

やはり女の子だ。育てる、世話をする、見守る。そういうことが大好きなようである。

ほかの子を見ていると、男の子だと、破壊的なものにエネルギーがいく。何かを叩き壊す、ぶつける、運ぶ、移動させる。そちらのほうにエネルギーがいくようにも思う。

さて、あかりはやがて、水遊びにハマっていく。蛇口をばーっとひらいて、空から水が降ってくるのを喜んでいる。びしょびしょになった。まあ、それでもこうして1時間ほど遊ぶことができた。

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いきものを大切にする、いっぽうで殺して食べる現実

シカやイノシシなど、生きものを殺す猟師たちがいる。シカなどは、かわいいので、残酷、可哀想ともおもう。イノシシもうり坊など、とっても可愛い。

しかし、山里で田んぼや菜園をいとなむとわかるが、シカやイノシシに荒らされる。木の芽も食べられてしまう。かれらが侵入しないように、電気柵を設置する費用もかかる。そこで獣害駆除として、猟が一定期間、認められるわけだ。

いっぽうで、老いて捨てられた犬や猫を保護して、最期まで看取る方が、この山里にはおられる。その方は、たくさんの犬や猫がいるために、わざわざ辺鄙な山里を選んで移住したわけだ。そうして、その隣家には猟師がいたりする。

三宅島が噴火した時、住民が避難してきて、都営住宅に移り住んだ。その時、ペットが飼えなくて、一時預かりで、多摩の施設で飼われていた。ボランティアの人たちによって、とても大切に世話されていた。その施設を訪ねたことがある。

驚いた。そこは、迷子となった犬や猫が保護される大きな施設であった、かれら迷い犬、迷い猫は、一定期間、飼い主が現れないと殺処分されることになっている。そのことを気づいてか、かれらはみんな怯えて怖気づいていた。

とてもたいせつに飼われている犬と猫たち。同じ施設で、犬や猫が殺処分されているという現実があった。

シカが撃たれた

ズダーン、ズドーンと二発の銃声が山に響きわたる。シカが撃たれたのだ。いまは猟期。昨日も一頭、撃たれたのを見た。今日も一頭。

猟師は、猟犬を使う。犬は森のなかでシカの匂いを嗅ぐ。吠えつづけて追っていく。シカは必死で逃げる。逃げる。イヌは、吠え続けて追う。シカはやがて体力を使いはたす。汗腺がないので、身体が熱くなる。体を冷やすために川まで逃げる。

その川で猟師が待ち構えている。シカは川にざぶんと入って体を冷やす。そして立ち上がる。その瞬間を待ってズドンと撃つ。仕留めたシカは、川で血抜きをする。そして、仲間の小屋に運んで、みんなで解体する。

彼らは、よく切れる手製のナイフ(鹿の角を柄にしたカッコいいナイフ)で、手際よく解体していく。みんなほとんど50年以上というベテランたちが多い。

シカの肉は、仲間で分けて食べる。だが、皮は惜しげもなく捨てられてしまう。皮を加工するのは難しい。なめし業者に依頼すれば費用がかかる。また、食肉として販売するとなると、保健衛生上の制約が厳しい。

山里は獣害駆除で、シカやイノシシなどが狩猟の対象となる。猟期がある。イノシシは11月15日〜2月15日。シカは、11月15日〜3月15日。猟師たちは、ほとんど毎日、猟に出る。ほぼ確実に一頭は仕留めるという。

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「三寒四温」と「小春日和」

まちがえて使っていた。今朝、知った。
冬に使う言葉だった。今頃の季節かと思っていた。
いままさに、「三寒四温」なんだけどね。
「小春日和(こはるびより)」……晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴天。
三寒四温」……冬季に寒い日が3日ほど続くと、そのあと4日ほど温暖な日が続き、また寒くなることをいう。

謎の犯人が取っちゃったのかもしれないよ

あかりを、毎朝、保育園に連れて行く。昼には、お弁当もっていく。4時には、保育園から連れて帰る。これがおとうちゃんの日課
「お弁当だよー」と言うと、あかりは、ニコニコして飛んできて「ありがとう」と持っていく。
保育園に行ったついでに、部屋に入って絵本を読んだりして子供たちと過ごすこともある。だいたいは、子どもたちは、あかりを入れて2〜3人。そして、保育士さん1人。
こないだは、Sちゃんがおもちゃの車のタイヤを全部外してしまい、困った困ったとみんな言っている。「誰が外したんだろう」とみんなで言っている。
するとあかりが立ち上がって、「謎の犯人が取っちゃったのかもしれないよ」と言う。
「謎の犯人」なんて言葉、よく出てきたものだ。
「うわっ、謎の犯人ってだれだ。はやく出ておいで」。
そんな謎の犯人探しをしていた。
すると、Aくんが、「はい、謎の犯人はぼくです」と名乗り出た。
「なあんだ、君が謎の犯人だったのか」。
「いや実はウーパールーパーだったんです」。
そんなふうに、遊んだりできるのはたのしいこと。一つ一つが輝く瞬間の体験。日々変化していく日々。

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ひとりでブランコに乗って遊ぶ

公園のほうで声がする。
「だれか、遊んでくれるかなあ……」と、あかり。
「遊んでくれるといいね。行ってみようか」。

公園に着いたら、男の子ばかりだ。
「君たちは、何年生なの?」と聞く。
「はい。ぼくたちは、5年と6年です」。はきはき、答えてくれる。

あかりは、「3歳なのー」と大きな声で、声かけした。
男の子たちは、困った顔をしていた。
男の子たちが、3歳の女の子と遊んでくれるはずがない。

「おねーちゃんたちとはちがうから、無理そうだよ」。
あかりは、仕方なく、ひとりでブランコに乗って遊ぶ。
風がびゅーびゅーと吹いていた。

 

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苦手な片付けと肉体労働にスイッチ・オン

落札した事業所の現場。まわりは美しい景色だが、現場はえらいことになっている。やるべきこと満載。行動あるのみ。
苦手な片付けと肉体労働にスイッチ・オン。一日3度通っては、片付けている。朽ちている板切れや角材などは、鳶口を打ち込んでは引きずって集める。燃やす。すこしずつすこしずつ、だ。
行動すれば、その場からきれいになっていく。気持ちがいい。筋トレになる。心の浄化になる。カルマ・ヨーガになる。瞑想になる。頭が空っぽになる。楽しくなる。遊びになる。
くよくよと ものごと悔む暇あれば 大小となく行いてみよ(出口王仁三郎

 

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あるがままにみるのは難しい、という話になる

「なにが写っていないか」「なにが書かれていないか」
そこにフォーカスして、マスコミに接するとおもしろい。
ぼくは仕事が編集ということもあり、映像とか本とか、まるのみにはしていない。映像に映らないもの、活字にされないもの、選択されなかったものはなにか、そこに目が行く。
たとえば、写真。そこに写っていない人物を探すことで、いろいろ見えてくる。
かつての毛沢東スターリンの時代、政敵になった人物は、写真から消されている。本来そこにいたはずの林彪とか劉少奇トロツキーなどは消されている。
日本の某巨大宗教団体も、似たようなことをしている。後に反逆した人の姿を、記念写真からせっせと消したりする。
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有名人、えらい人、聖者みたいな人を訪ねて、インタビューして本を作ることがよくあった。
語ったことの、7割くらいは外している。雑音、ノイズ、偏見、愚癡、思い込みのようなものは、外して書く。いいものを抽出して、これは? というものは外す。
なので、ものすごくいい人として表現できるし、いい人だけどすこしだめな人とか、編集次第で表現することが可能だと思う。
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そういう編集の目で、聖典というものを見てみる。
経典、聖書、論語老子ソクラテスの言葉、さまざまな聖者の言葉を読んでいる。
その背後にあるその人の人格、暮らし、日常、選択されなかったもの、外されたものに意識がいく。聖典の編集者、あるいは作者の意図に目が行く。
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マスコミとか映像とか書籍は、真実を伝えない。じゃあ、自分で見た目があるがまま、そのとおりかと言うと、そうでもない。
自分で見ている世界は、じつは自動反応的に選んでいることがある。色眼鏡で見ることがある。偏見と思い込みが背後にある。心理学的にいうと、自分の抑圧したシャドーに影響され、汚染されていることもある。逆に理想の投影もある。
あるがままにみるのは難しい、という話になる。

インドネシアの家族の取材申し込み

インドネシアの家族が、山奥の集落でハラール食品を製造するということは、すでに「東洋経済」で取り上げてもらった。きょうは、テレビ東京から取材の申込み。池上彰の特番(2時間)のなかで取り上げたいということであった。
あかりを三輪車に乗せて河原を散歩中の電話で、あかりが騒ぎ出してゆっくり話ができなかったが。
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どういうストーリー、どういう絵柄がほしいのか、相手の狙いに即して、セットアップすることはできる。食品加工の現場、村人との食事会、空き家探しのツアーなど。ついでに家の解体のことも。
池上彰ということであれば、いろいろ切り口がある。まあ、次のような素材を提案したのであった。
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①疲弊する地方、しかも山間部の過疎高齢、空き家の問題。そこに、ここに外国人家族が仕事を持ってやってくる。しかも、おじいさんが、インドネシア独立運動に関わった元日本兵
②これからの日本社会は、外国人を受け入れて協働していかざるを得ない。その際に、外国人の価値観、宗教、生き方、風習を受け入れることの大切さ。過疎地の集落で起きている現場から。
③日本はこれまで、仏教、キリスト教を受け入れてきたが、イスラムには馴染みがない。タリバンとか9.11とか、暴力的なイメージが付きまとう。しかし、世界で16億人のムスリムがいる。そこで、イスラムに生きるとは、どういうことなのか。そのあたりを知る。
④食品のトレーサビリティーの問題。無農薬とか有機農法といっても、しっかりとトレースされているのか。ハラールは、どういう生き物が、どのように 屠殺され、どういう人が、どのように調理したのかトレースできる。しかし、いまの日本のハラール表示はどうなのか。そのあたりの食品の問題。
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ま、こんなことを伝えたのであった。取材は3月末、放映は5月の予定らしい。まだ、プロダクションレベルの企画段階と思われる。同時にすでにBS放送の取材も行われている。

自分に自信がしかとある(根拠がなくとも)

保育園の先生とのやりとり。
──あかりちゃんは、物語をつくるのが好きですね。
「よく親子で一緒に物語をつくっているので」。
──〈なりきりごっこ〉が好きですね。くまさんになって、きつねさんになって、とか。でも、あかりちゃんはもいつもあかりちゃんで、他の人に、○○になあれと要求するんですよ。


たしかにそうだ。「おとうちゃん、魔女になって」「おとうちゃん、ブロントザウルスになあれ」と要求する。でも、自分が魔女やくまさんには、けっしてならない。
そういう時期なのか、そういう性格なのか。あかりは、西洋占星術でみると、太陽の支配星は獅子座。火の星座だ。


自分に自信がしかとある(根拠がなくとも)。自己主張はしっかりとする。人が周囲に集まる星回り。少しぐらい強気なことを言っても、「あの人はひと味違うな」という感じで許されたりする。なので、いけいけどんどんで、自信をもたせていくのがいい。
でも、じつはガラスの心臓で、自信がなくなると大きくヘタる。イケイケ状態のままだと、手痛いしっぺ返しがきたりする。


なんにせよ。たしかな自分自身に対する信頼、そして人の気持ちがわかるような子になるといいな。
人の気持ちがわかることで自分の気持がわかる。自分の気持もわかることで、ひとの気持ちがわかる。


まあ、そのあたりは、お父ちゃんに欠けている部分ではあるので。そこは、お父ちゃんの学びになっている。

雨の降り続く夜の親子のやりとり

雨の降り続く夜の親子のやりとり。

疲れて布団に横たわっていると、あかりがやってきた。
──おとーちゃん。
なあに。
──いつも、いてね。
いつも、いるよ。(……いつまで、一緒にいられるかなあ)

──おとーちゃんの面倒みるからね。(……うれしいなあ。そんなビジョンが見えてきた)
ありがとうね。
──火を焚くと温かいから、火を焚くまで待っててね。(……この言葉、なにか象徴的な)

なにか変化をつけようとして、起き上がって「ぐわーー」と叫んでみる。
あかりは、なんらうろたえず、
──雨だからね、ぐわーって言わないで。
はい。
──ごめんなさい、わ?(……と、催促する)
ごめんなさい。(……と、お父ちゃん)

ニホンミツバチの巣箱

ニホンミツバチの巣箱を置かせてほしいというKさん来訪。落札した物件の倉庫の角地に一つ置くようにした。

ニホンミツバチは、ほとんど絶滅危惧種だが、もしかして春野のこの地で蜂蜜がとれるかもしれない。セイヨウミツバチの蜜よりも遥かに美味しいという。

またKさんは、ミツバチを飼いだしたら、ミツバチの視点で物事を見るようになって、自然を見る目が、世界が変わったという。なるほど。

また、渓流釣りが趣味だと言うので、アマゴの釣れる穴場を案内した。そこからの風景。気田の町が一望できる。

 

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ミツマタが現れた

ミツマタは、いまが咲き頃。きのう見つけたミツマタインドネシアの方たちの空き家探しで訪ねた。万瀬の山奥に咲いていた。いい香りもする。

山林地主に聞くと、伐採した後に、突然、群生地が現れたという。もともとかつて、栽培されていたのかもしれない。

それが、植林されて杉や檜が生育すると、日陰になって芽を出せなかった。それが伐採されて日があたったことで、咲き出した。

ミツマタは、コウゾやガンピとともに、和紙の材料となる。花が美しいし、香りもいい。一万円札などの素材にもなっている。

こうしたミツマタ見学、採取、そして叩いて繊維質を取り出して、和紙にする。その一貫した体験ワークショップなどおもしろいと思う。いつかやってみたい。

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ちゃんとしまえば、またあたらしく始まる

寛さんの短歌。左手でダーマトで書いてみた。

貞心尼は、良寛に会いたくて、歌を送る。

これぞこのほとけの道に遊びつつ
つくや尽きせぬみのりなるらむ

これに答えて良寛が詠んだ歌。

つきてみよ ひふみよいむなやここのとを
とをとをさめてまた始まるを
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十まで手まりをつくと、また一から始まる。
つきてみよとは、まりをついてみよという意味だが、
「尽きてみよ」ともよめる。尽きればまた一から始まる。

十でおさめるというのは、「とうとうおさめる」ともよめる。
尽きれば始まる。ちゃんとしまえば、またあたらしく始まる。

ひとつひとつ、ちゃんとおさめていく。
そしてまた、はじまる。

日々そのくりかえし。おしまいはないのだが、ちゃんとしまえば、ちゃんとはじまる。

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