過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

インドの哲学と歴史を語り合う

インドのベンガル出身のスワルナーリ女史を磐田に訪ねる。まことに該博、鋭敏、俊才、ロジカル。熱海での企画会議に疲れたので、頭が整理された。
以下は雑談のメモ。
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シャクティとは、女性性。
女性そのものではなく、いわば流動するものは、女性性。たとえば、海とか川とか流れるもの。
ものごとは「陰」と「陽」がなければ形にならない。二つのエネルギーが必要。
電流と電圧があって光となるように。
たとえば、太陽は男性性。動かない。そして、地球、大地はそこから生物、植物が生えて動きがある。それが女性性。
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イギリスからインドが独立されるとき、統一インドか、ヒンドゥーイスラムに分けるかという論議があった。
ガンディーは、イスラムに譲歩したとして、ヒンドゥー原理主義者に暗殺された。
そうして、できたのが「パキスターン」。
インドにいたイスラムは、パキスターンに、パキスターンにいたヒンドゥーはインドに大移動。その間、たいへんな抗争があった。
そのことは、デンマーク系の宣教師の子としてインド北部に暮らしていたイーデス・ハンソンさんから聞いたことがある
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パキとはPure。スターンは場所、国土。そうすると、「浄土」という意味か。
───南無阿弥陀仏と称えると極楽浄土といわれるが、パキスタンに生まれたりして(笑  パキスタンに生まれるのがいいか、バングラデシュ(かつての東パキスタン)かいいか、悩ましいですね(笑 
「それは、選ぶとしたらバングラデシュでしょう。もうパキスタンは、インドから完全に閉鎖されて、行き所がない」
ともあれ、インド文化を破壊し分断したイスラムに対しては、並並ならぬ反抗のエネルギーがあるんだとみた。
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カルマ(業)は必ず返ってくる。
カラムカルマという。それはいつ返ってくるのか、わからない。縁によって種子となって育って果実を収穫する。因は縁によって結果となる。種を撒いたら収穫される。フルーツ。
いいことをしたから相殺されるということはない。
仏教では、カルマ(業)は、身口意の三業(さんごう)という。ヒンドゥーでは、身と言葉。心は入らない。しかし、言葉と身体は、かならず心から出てくる。なので、心こそが大切。
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「池谷さん、日本では、SIN(罪、原罪)をどうとらえるんですか?」
───神道では、「罪穢れは、祓いたまえ清め給え」です。祓ってしまえばいい。禊をすればいい。
そして穢れとは、「気枯れ」です。エネルギーが枯渇する。なので、穢れに触れないためにも服喪がある。
「おお、それと救いとの関係は?」
───罪と穢れがあるのが人間の生き方。殺さざるを得ないのが人生。
そういう罪多き人であるがゆえにこそ、救われる。それが親鸞の教え。日本の最大宗派である浄土真宗の教えです。
「ええ? なんじゃそれは!」
驚いてのけぞるスワルナーリ女史。
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───ともあれ、日々の行いにおいて心を清めること、大切ですね。
「はい。なので、プージャ(ヒンドゥー教における礼拝の儀式)は心を清めるためにあるんですよ。プーラン=complete、じゃ=ジャパ 唱えること。そして、バーバナ(Bhavana)はくりかえし身につけること」
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───ところで、モディ首相はインドで、とても人気がありますね。BRICsのリーダ格になっている。
「モディは、とても人気があります。かれの行いは、庶民的だしリーダーシップがすごい。インドはカースト制といわれるけれど、それは間違った解釈です。そもそも、モディはチャイ屋の倅ですよ。
───おお、そしてインドの憲法を作ったアンベードカルは、アウトカーストでしたね。
「そうなんです。カーストとは、ポルトガル人が作った言葉。西洋人の思うような固定的な制度ではありません」
───しかし、モディはヒンドゥー原理主義に見えます。
「モディはモスクを4万も破壊するといっています。そこを破壊してふたたびヒンドゥーテンプルを建設する。もとはヒンドゥーテンプルであったところが、破壊されてモスクになるのよ」
───すごいことになりますね。アヨーディヤ(インドの古都で、叙事詩ラーマーヤナ』の聖地、テンプルが破壊されてもモスクが建てられ、それを破壊してヒンドゥーテンプルに、そしてまたモスクにと繰り返し争いがある)が、そのきっさきですね。ヒンドゥー原理主義がエネルギーを発揮していく。どうなることやら。
などなど、ヒンドゥーイスラムBRICsにおけるインドとロシアの関係。さらには、アレクサンダーの遠征とムガール帝国の成立と崩壊に至る歴史を語り合ったのだった。
身近なとこに、インド哲学の大先生がおられるということであった。人生、学べるうちに、学んでおかねばと思う。