過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

小さい頃は、遊ぶものは「百人一首」しかなかった

昨日の春野人めぐりは、95歳のおばあちゃんと会った。

小さい頃は、遊ぶものは「百人一首」しかなかった。友達はいつも遊びといえば、百人一首。もう完璧に記憶している。上の句の冒頭の言葉を少し読んだだけでも、下の句がでてくる。札をぱっと取り合うわけだから、瞬発の運動神経も鍛えられたことだろう。

ぼくが、「これやこの 行くも帰るも 別れては」と言うと
「知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関」と。
そして、一緒に「蝉丸」と答えて笑った。蝉丸は盲目の琵琶奏者である。

百人一首は日本文化の集約した宝物だから、もうこれだけでも無限に世界が広がる。いまの時代は玩具、ネット、遊ぶものが多すぎてかえって遊べなくなってしまうのかもしれない。

小さい頃の、奉安殿や教育勅語の話。戦争の話も聞いた。

長兄は、ラバウルで戦死。山本五十六連合艦隊司令長官の視察に際して、陸上攻撃機で護衛していた。ブーゲンビル島の上空で、アメリカ軍によって撃墜したという。

山本五十六の発信する時刻、五十六を乗せたパイロット、さらには護衛する飛行士たちの名前から本籍まで、すべてアメリカ軍にわかっていたという。その資料が、アメリカか日本のどこかにあると聞いているが、いちど見に行きたいと語っていた。

その半生紀をお聞きしてまとめたいと思った。

10月に出版した「すごい90代」(すばる舎)の本が売れれば、「第二弾をだそう」と出版社が言ってくれるかもしれない。そうしたら、取材して紹介したい方は次々とおられる。

「まだまだこれから80代」というテーマならば、現役で元気に活躍している人たちはほんとうにたくさんいる。