過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

結婚という暮らし

ひとり暮らしがすごく長かった。結婚して共同生活になると、わがままできず。ましてや子どもがいたら、もうたいへん。ま、しかし、苦労もするけど、語り合い、学び合い、気づきあがあるいうのは、人生の晩年、ありがたいこと。

秋から妻と一緒に新規事業にすすむ。いまは、あーでもない、こーでもないと、日々、相談しあっている。一人じゃ、まるきしできな

ひとり暮らしがすごく長かった。結婚して共同生活になると、わがままできず。ましてや子どもがいたら、もうたいへん。ま、しかし、苦労もするけど、語り合い、学び合い、気づきあがあるいうのは、人生の晩年、ありがたいこと。

秋から妻と一緒に新規事業にすすむ。いまは、あーでもない、こーでもないと、日々、相談しあっている。一人じゃ、まるきしできないんだもの。ありがたいこっちゃ。

田辺聖子さんの、なるほどという文章を見つけた。
「一生、自分と行をともにしてくれて、自分を守り、引き立ててくれるというのは、男にとって何という大きな恩恵であり、資産であろうか」と。
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男が女を選ぶのではなく、女に選ばれる時代になるのではなかろうか。男に養われる点ばかりが、今までクローズアップされてきたが、夫と妻、という形をようく考えてみると、養われ、生かされ、守られているのは、男・女のどちらであろうか。そこばくの金は問題ではないのだ。

男が女に子供を産ませ、家を守らせる、というのではなくて、女が、その男の子供を産んでやり、家をチャンとととのえてやり、男が世の中へ出て働けるようにしてやる、そのおかげで男は一人前の顔をして世渡りができるのだ。

実際、きちんとした躾を受けた娘、学歴を修得した娘、健康で健全な良識ある女が、一生、自分と行をともにしてくれて、自分を守り、引き立ててくれるというのは、男にとって何という大きな恩恵であり、資産であろうか。

私はかなり前から、男の子の教育は、一にかかって、一「いい女に選ばれること」にある、と、男の子を持ったお母さんは、ぜひそう躾けてほしい、と声を大にしていっているのだ。東大へ入れて役人にするより、その方がなんぼう大切なことか。

この男のためなら、よし、一丁、生涯かけてやってみよう、と「イイ女」に思いこませる、そういう「イイ男」に育ててほしいのだ。「男の仕事は、そういう「イイ女」とめぐりあうことも「男子一生の事業」の何割かは占めるであろう。男本人がいくらあがいても、ついてる女がつまらなければ、人生の開花は望めない。「イイ女」をひきつけるに足る魅力と迫力、可愛げを男の子に持たせてほしい。

そして女の子も、自分の値打ちをよく知って尊重してくれる「イイ男」を選ぶ、その能力を、女の子を持ったお母さんはつけてやってほしい。

男の子に可愛げを、女の子に剛毅果断、自立の精神を、というのが、私の年来のねがいなのであって、そうすれば、家庭における男尊女卑思想はなくなるかもしれない。

男の子だから、食後、テレビを見ていてもよい、女の子だから台所を流しなさい、という躾は私は反対で、将来、イイ女にみとめられる男に育てようとすれば、阿呆な生活無能力者にせず、どんどん、家の仕事もさせるべきである。

男の子だから女の子だから、という旧来のやりかたで育てられると、彼らが自分自身の家庭を持ったときに、歪みが出てくるのだ。

妻は旧来の家庭像に自分を殺してはめこむには堪えられなくなっている。家庭はその重みで、根太(ねだ)が支えきれず、ついに傾いでしまうのである。
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「一緒にお茶を」夫の生き方妻の生き方 田辺聖子著(角川文庫)より

いんだもの。ありがたいこっちゃ。

田辺聖子さんの、なるほどという文章を見つけた。
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かつて学校の家庭科といえば、女子だけが学び、男子は別の科目を学んでいた時代があった。しかし、今では家庭科は男女共修の科目となっている。「男子厨房に入らず」ということばは、もはや死語になったのである。とすると、これから先はどんな世の中に......。

男が女を選ぶのではなく、女に選ばれる時代になるのではなかろうか。男に養われる点ばかりが、今までクローズアップされてきたが、夫と妻、という形をようく考えてみると、養われ、生かされ、守られているのは、男・女のどちらであろうか。そこばくの金は問題ではないのだ。

男が女に子供を産ませ、家を守らせる、というのではなくて、女が、その男の子供を産んでやり、家をチャンとととのえてやり、男が世の中へ出て働けるようにしてやる、そのおかげで男は一人前の顔をして世渡りができるのだ。

実際、きちんとした躾を受けた娘、学歴を修得した娘、健康で健全な良識ある女が、一生、自分と行をともにしてくれて、自分を守り、引き立ててくれるというのは、男にとって何という大きな恩恵であり、資産であろうか。

私はかなり前から、男の子の教育は、一にかかって、一「いい女に選ばれること」にある、と、男の子を持ったお母さんは、ぜひそう躾けてほしい、と声を大にしていっているのだ。東大へ入れて役人にするより、その方がなんぼう大切なことか。

この男のためなら、よし、一丁、生涯かけてやってみよう、と「イイ女」に思いこませる、そういう「イイ男」に育ててほしいのだ。「男の仕事は、そういう「イイ女」とめぐりあうことも「男子一生の事業」の何割かは占めるであろう。男本人がいくらあがいても、ついてる女がつまらなければ、人生の開花は望めない。「イイ女」をひきつけるに足る魅力と迫力、可愛げを男の子に持たせてほしい。

そして女の子も、自分の値打ちをよく知って尊重してくれる「イイ男」を選ぶ、その能力を、女の子を持ったお母さんはつけてやってほしい。

男の子に可愛げを、女の子に剛毅果断、自立の精神を、というのが、私の年来のねがいなのであって、そうすれば、家庭における男尊女卑思想はなくなるかもしれない。

男の子だから、食後、テレビを見ていてもよい、女の子だから台所を流しなさい、という躾は私は反対で、将来、イイ女にみとめられる男に育てようとすれば、阿呆な生活無能力者にせず、どんどん、家の仕事もさせるべきである。

男の子だから女の子だから、という旧来のやりかたで育てられると、彼らが自分自身の家庭を持ったときに、歪みが出てくるのだ。

妻は旧来の家庭像に自分を殺してはめこむには堪えられなくなっている。家庭はその重みで、根太(ねだ)が支えきれず、ついに傾いでしまうのである。
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「一緒にお茶を」夫の生き方妻の生き方 田辺聖子著(角川文庫)より