過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

知人が失踪した

人生、いろいろ。
知人が失踪した。もう十日あまり連絡なし。

妻と子どもが三人いる。子どもは、まだ幼い。
ケータイを変えてしまって計画的だ。連絡は取れない。
失踪の理由など、わからない。
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うわあ。そんな男には見えないんだけどなぁ。人間、わからない。
事件性はないとみて、警察は深入りできない。
しかし、いろいろ調査でつかめた。ある都市で買い物した情報など、キャッチされた。
ということは、生きている。死んではいない。そこは安心。

しかし、奥さんはたいへん。子どもたちも不安が募る。
なにより疾走した本人は、つらくてつらくてたいへんだろうなあ。

このまま待ち続ければ、帰ってくるのか。
このまま帰らなかったらどうしよう。
暮らしはどうなる。子どもたちは。

でも、どうやって探したらいい。
 
そんな相談を友人を通して受けた。
彼の職場の上司に電話してみたり、いろいろ背景を聞いてみた。
しかし、はっきりしたことはわからない。
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ぼくの友人(知人とは別の人物)も、そんなふうに突然、蒸発した。
彼は蒸発して、四国遍路をしていた。そして、山小屋にこもったりしていた。ついに妻のもとには、帰らず。しかし、養育費だけはおくり続けていたという。そこはすごいな。

だから知人も、ある日、ひょっこり帰ってくるかも。
それが、一週間のこともある、一か月。いや一年。いや十年、二十年。

そんな話をしていた。
もう「祈り」しかないよね、という話をしたのだった。

そうしたら、いま先程の情報。
どうやら帰宅したらしい。二週間ぶり。
ともあれ、よかった。よかった。
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家庭があっても、突然、蒸発したくなる気持ちはわからないではない。
ストレスがすごく溜まったり、もう人生が嫌になったり、ゼロからやり直したくなったり。まあ、失踪できるというのは、まだ若いわけで。エネルギーがあるともいえる。年とったら、朽ち果てていくしかないわけである。

ともあれ、この人生、逃げ切れるものではない。
現実を乗り越える鍵は、現実に直面するしかない。そして祈りだ。
それが早道。そこは、わかっているつもりなんだけど。人生、難問多し。
後年、ふりかえれば、それこそリアリティがあって、なんと楽しかったことよと思うのかもしれない。