過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

無力感を味わってこそ、はじめてほんとうの祈りが起きる


──日本は、もうすっかり停滞してしまって、これから落ちていくばかり。
「それはもしかして、日本のために良いことではないかと思う」。

──それは、どうして?
「無力感を味わってこそ、はじめてほんとうの祈りが起きる。そこから始まる。自分のヴァーサナ(前世からの傾向性、宿業とか熏習みたいな意味合い)に気づいて、霊的な修行が進むことができるから」。

──日本人は、勤勉で型にはまって、世間の顔色を見ながら頑張って忍耐するみたいなパターンが多い。
「それは識別力がすごく大切。多くの人は一生懸命にやっていても、枠を超えられない。なぜなら、自分のヴァーサナによって動かされている。そこに気がつかない」。

──これから日本は、自殺する人も増えると思う。どう思う?
「自殺しても、宿題を残して去るだけでまた次の宿題をしなくちゃいけなくなる」。

──やっぱり、祈りしかないんだよね。
「祈りがたいせつ。でも、他人を変えようという祈りをがんばってもだめ。自分を変えないで、他人は変わらない」。

10年ぶりくらいに、インドで出家した友人と縁あってZOOMで話をした。彼とのやりとりで印象に残ったやりとり。