過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

人ひとり、課題、逆境、チャレンジがあって、それを乗り越えようとしている

あたりまえだけど、「これだけ苦労しました、たいへんでした」というメニューを示しあって、人と話をするわけではない。

普通に話をしていて、そういう苦労話が出るわけではない。話を聞いているうちに、「じつはね……」ということが出てくる。そうして、それぞれたいへんな人生なんだなあ、ということに気づかされる。

一人ひとり、課題、逆境、チャレンジがあって、それを乗り越えようとしている。逡巡している、つぶれそうになっている、あるいは乗り越えてきたことがみえてくる。

ガンを克服した、闘病中だ、大手術した、娘が死にたいと言っている、嫁が子をおいて出ていってしまった、倒産した、介護の日々でつらい……。もういろいろだ。「わがごと」ととらえると、身につまされることばかり。

それぞれ生まれが違う、育った環境が違う、恵まれた人、そうでなかった人、いろいろな背景がある。でも、みんなチャレンジの人生なんだなあと、あらためて思う。そうして、この歳になると、一つひとつのことに、すこしずつ共感でき、心が沁みてくることにもなる。


きょう出会った方は、お子さんを2歳のとき、病で亡くされていた。9か月にわたって、毎日、病院に通った。上の子も下の子も幼かった。山里からまちなかの病院に行くのは、たいへんなこと。乳飲み子を連れていけるわけではない。子どもも、お母さんも、お父さんも、その両親も、さぞやたいへんだったろうと思う。

そんな体験があったので、子どもたちには、元気で生きていてくれているだけでも、もう十分にありがたいと言っていた。そのことは、わが子を育ててみて、リアルに感じられるようになった。


人生、いろいろ試練がある。自然災害も人災も、そして過酷な運命もやってくる。これまでもあったし、これからもきっとやってくる。怖いのは、いつやってくるのかわからないということだ。

「備えあれば憂いなし」という。しかし、どう備えていいのかわからない。「神よ、宇宙よ。雨が降って下さい、風よ吹いて下さい。そのまま受けていきます」と思うしかない。

起きたときには、起きたときのことだ。なので、日々、こうして元気で暮らして生きていることに対して、感謝をしていくことの大切さを感じる。感謝することで大難を小難にしたいという打算もないことはないが、しかし、感謝せざるを得ないことに、少しずつ気がつきだしている日々なのだ。