過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

天皇の玉音放送があって、それからどうなったか

もうすぐ終戦(敗戦)記念日だ。日本は無条件降伏を受け入れた。74年前のことだ。
天皇玉音放送があって、それからどうなったか。ざっと思いつくままに挙げてみた。

①自決:「生きて俘虜の辱めを受けず」「1億玉砕」「撃ちてし止(や)まん」 「降伏よりも大きな恥はない」と国は教えてきた。しかし、自らいのちを絶った将兵は、全国で350人程度。

②証拠隠滅:連合国が占領に来る前に自分たちに不利になる(責任を追及される、報復を招く)資料は、みんな焼き捨てた。自己保全のために。

横流し: 本土防衛に備えていた日本軍の隠匿軍事物資などは、横領、横流しされてしまう。帝国陸海軍が保有していた全資産の70%が消える。その金額、年間の国家予算ほど。

中国の軍事物資など、児玉機関などは、政界工作に使い、いまの自民党との基礎である民主党(鳩山民主党)の結党資金として提供された。

闇市:全国に闇市ができる。1万か所以上。それをヤクザが取り仕切る。敵艦特攻のために飲んだと言われるヘロインやヒロポンなどの薬物も闇市でさばかれる。死体から剥ぎ取った衣服や毛布さえも売れた。

⑤娼婦:国は、占領軍兵士のための慰安施設を設置する。內務省は全国の警察管区にて指示。終戦の3日目)。 副総理の近衛文麿は、警視総監が指揮をとってほしいと要請。国が娼婦として働く女性を募集する。 東京では一三六〇人の女性が「特殊慰安施設協会」に登録。

皇居前広場」でRAA( (Recreation and AmusementAssociation)の発足式がとりおこなわれ「一億の純潔を護り、以て国体護持の大精神への忠誠を厳粛に誓う」と。「一億円で純潔が守れるなら安いものだ」と後の総理となった池田勇人の言葉。

⑥ギブミーチョコレート:陽気で堂々として米軍がやっくる。最初はみんな恐れたが、子どもたちはチョコレートやチューインガムを求めて、米兵のもとに群がる。子どもたちが覚えた英語は、「ギブミーチョコレート」であり、その次に 「ユー・ライク・トゥー・ミート・マイ・シスター」(僕のお姉ちゃんに会いたいかい?)だという。

⑦パンパン: 米兵相手の売春婦が全国に増えた。その数、数千から数万人。 男の子がGI帽をかぶり、腕を女の子の腕にからませている遊びが流行る。

⑧餓死者:食糧難で餓死者が増える。 降伏から三カ月間の東京で、栄養失調により死亡した人は一〇〇〇人以上。

都会の住民たちが、食料の買出しのために農村地帯に向かう。すし詰めの列車に押し合いへし合いして乗りこむ。 食糧を買いこむために衣類を手放す生活はで、「タケノコ生活」と言われた。

⑨教科書:やがて小学校などが始まる。ほどとんが青空教室。「いままでの教えは間違っていました」として、子どもたちに皇国や戦争美化の考えなどを墨で塗りつぶさせる。教科書はほとんど乗っ黒になる。

⑩英会話本: 玉音放送が終わって何時間も経たないうちに、まもなく英会話の本への需要がふえるにちがいないと思いついて発刊した人がいる。小川菊松という編集者だ。大急ぎで作りあげた『日米会話手帳』は、一九四五年だけでも350万部が売れた。

以上は、ジョン・ダウアー「敗北を抱きしめて」(岩波書店)、アンドルー・ゴードン「日本の200年」(みすず書房)を参考にした。