【④イスラムとの出会い】2025.12.3
インド独立(1947年)の際には、ヒンドゥー教徒多数派のインドと、イスラム教徒多数派のパキスタンとの分離が決まった。
ガンディーは両教徒の和解を訴え、パキスタンへの補償支払いにも同意したが、それに対する反発から、過激なヒンドゥー主義者によって暗殺された。
その後もインドとパキスタンは、カシミール地方の帰属をめぐって三度の戦争(1947-48、1965、1971年)を繰り返し、緊張が続いている。
パキスタンはイスラム教を国教とする「イスラム共和国」として独立した。
友人のインド人は、背後にイギリスがいて「人類史上初の宗教国家」という前例を作りたかったからだという。すなわち、イスラエル建国のための地ならしのためだ、という。まあこれは推測の域を出ないが。
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独立時の混乱では、数百万人規模の住民移動が発生し、両教徒間の衝突により多数の死傷者が出た。宗教の違いによる分断は、今も政治や社会に影を落としている。
特に象徴的なのは、アヨーディヤーにあるラーマ生誕地とされる場所をめぐる争いだ。
16世紀にムガル帝国によってヒンドゥー寺院が破壊されモスク(バーブリー・マスジド)が建てられたが、1992年にはヒンドゥー教徒勢力によってモスクが破壊され、その後は裁判と政治論争を経て、2024年には新たなヒンドゥー寺院が竣工した。
私がインドを旅した頃は、その緊張が社会に色濃く残っていた。
当時、ヴァラナシのゴールデン・テンプル(ビシュワナート寺院)も標的となり得るとの懸念から、厳重な警備が敷かれていた。街中には警察官が多く、身体検査も頻繁に行われ、宿泊施設の屋上にも監視の目があった。
現在でも、特に政治的緊張が高まる時期には、両教徒の関係が敏感になる。
経済的には、インドが高い成長を続ける一方、パキスタンは経済的苦境にあり、人口増加率も高いが生産性や成長率で差が開いている。
インドは世界5位の経済大国になった。
一方のパキスタンはIMFの待合室で順番を待ち、電力は止まり、借金は返せない。
極端な例えとして、昨年、婚約したインドの大金持ちが婚約者に送った宝石の珠一つが、「パキスタンのGDP」に匹敵するというような話がある。
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インドの宗教構成は、2011年国勢調査によればヒンドゥー教約79.8%、イスラム教約14.2%、キリスト教約2.3%、シーク教約1.7%、その他(仏教、ジャイナ教など)となっている。多様な宗教が共存する一方、政治利用や地域紛争に発展するケースも後を絶たない。
私の友人のインド人女性は、アヨーディヤーの件について、「寺院が壊されたこと以上に、聖地のエネルギーが損なわれたことが大きい」と憤っていた。
彼女は「タージ・マハルも(イスラム王朝の墓だから)壊すべきだ」と過激な発言もしていた。インドでは土地や場所に「エネルギー」が宿ると考える思想(プラーナやテールタ)が深く根付いており、寺院の建立もそのような理解と結びついていることを知り、考えさせられる。
実際にはタージ・マハルは世界的な文化遺産として広く愛されており、彼女の意見はごく一部の過激な見解であるが。
ともあれインドにおける宗教は、ものすごく人間くさい。
そして、ものすごく強い。
これがインド亜大陸における宗教の本質なのだろう。
きれいごとでは済まない、血と涙と祈りが混じった、生きることそのもの。